匿名ゆき 2014-11-23 17:15:10 |
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非実在青少年
(ただし、性に関してはふれず)
いかにも、なフレーズでございます。
実在者が産み出した音声、文字、あらゆる死んでいるものたち…。
(これらは非実在的ながら認識上では存在している)
否定されたいがために、無理に作り出したのではないかと疑われるほど気孔だらけの言葉。
それでも、溶けきった定義と名称は愛されるべきである。
これは表現規制の一種であり、心の自動現象の制御化かつ夢の否定とも捉えられる。
私達は心の拠点を一つ、少なくとも一つ以上は失うのではなかろうか。
非実在に信頼を寄せる事に何の問題があるか。
非実在が非実在故に動機となるというのであれば
また、衝動的行動の抑制を真に目論むのであれば
エドガー・アラン・ポーの「天邪鬼」を真っ先に
─ただし放射性物質の半減期の様に、ゆっくり─
規制するべきだと思うのだが…。
『そして理性がつよくわれわれを突端から引留めれば引留めるほど、
その故にこそなおさら一切を振り切ってそこに近づくのだ。』
─天邪鬼より。
この本が姿を消したとき、私達は無機物へ変わりきってしまうだろう。
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