ブラック 2014-10-18 07:11:51 |
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新しい家族
うぎゃぁうぎゃぁ!
――うるさい。うるさい。耳を塞ぎたくて仕方ない。
「おーよしよし。お腹空いた? それともトイレか?」
小さな塊を抱っこしながら兄ちゃんは何でもない顔で、話しかけている。そんな小さな赤ん坊に話しかけても、赤ん坊は「うぎゃぁ」としか泣かない。
俺だったら色気のある声で啼けるのに、なんて人様に言えないようなことを想像する。何度目になるかも分からない抱き合いはすっかり抵抗すらなく、むしろ当たり前になってしまっていた。
「あぁ。湿ってる。いっぱい出したな」
にっこりと笑って赤ん坊の頭を撫でている兄ちゃんを、同じ部屋で見つめるのは、はっきり言ってもう嫌だ。俺だってそんな風に扱われたことなんて記憶にあるうちはない。
「うっわ、漏らしてる」
「お前『も』同じことしてたからな」
フイッと顔を背ける。だからなんだよ。
「ソイツにばっかり構いすぎ。俺の勉強見てくれるんじゃなかったの?」
近づいて尋ねると兄ちゃんは困ったような顔をして、それでもやっぱり赤ん坊が優先なのか、「こいつは一人で何もできないだろ」と優しい笑みを浮かべて赤子を見つめた。
どこからどう見ても、この赤ん坊は俺と兄ちゃんの新しい弟。
家に居ないくせに、両親は子だけを作って仕事に行ってしまう。無責任にもほどがある。赤ん坊――柚は、兄ちゃんに着替えさせれ、嬉しそうに笑っている。
「俺の兄ちゃんなんだ!!」
怒鳴っても仕方ないのに、怒鳴りたかった。柚はキャハハなんて本当に腹が立つ笑い方で俺の頬を小さな掌でペチペチと叩く。その所為で頭を鷲掴みしそうになって舌を打ち、布団にもぐりこんだ。
**
わざと眠ろうと布団に入ったものの、眠気などやってこなかったので顔を上げて辺りを見ると誰もそこには居なかった。今日兄ちゃんはバイトなのだろうかと、暫し考えていると腹部に衝撃を覚えた。かなり痛い。
目を向ければ、柚が手を上下に振って俺の腹を叩いている。しかもとても楽しそうに。
「離せ」
ぶっきらぼうに言ってやると、相当堪えたのか腕をピタリと止め、頬を引きつらせて文字通り泣いた。怒られた、そう思っているのだろう。実際怒ってはいないけれど、柚自体に優しくしてやりたいとも思わない。
だからなのか、泣いていても「煩い」の一言で部屋を出た。
リビングにも風呂場にも手洗いにも、兄ちゃんは居ないので、きっとバイトなんだろうと決めた。赤ん坊の世話なんてした事もないのに、急に押し付けられても全く世話などできやしない。
家の中に居たら絶対に柚の顔を見ることになるので、家の外に出る。死んでしまえば良いのになんて、思ってはいけない事を普通に思った。俺の兄ちゃんを奪ったんだ、死んだところで何も変わらない。
餓死でも事故死でも何でも良いから、兄ちゃんに近付いて欲しくない。だけど、自分の手を汚すのは嫌だと言う、我儘で汚い奴だと自分でも思う。
――ピタリ。急に、柚の泣き声が止んだ。外まで聞こえていたからかなり近所迷惑だろうけれど、今はどうだって良い。振り返って数秒、再び歩いていこうとすると、先ほどより大きな声で柚は泣いた。
まだ昼間で、もうすぐ夕方に差しかかろうとしている時間帯。暑さ的には問題はない。先ほどより大きな声。一瞬で嫌な予感がした。階段から落ちたとか、ベッドから落ちたとか、そんな事が頭をよぎっては左右に振る。もう関係がない。
「どうしたのかしら?」
「大丈夫なの?」
あまりの大声に野次馬がやってきた。巻き込まれると面倒だったので、他人の振りをしてその場を立ち去った。その後、兄ちゃんに見つけられて、何度も打たれた。自分が何をしたのか分かってるのか、とか、小さいから仕方ないだろ、とか、そんな事を聞かされて「俺は小さい頃そんな事してない!」と言った。小さい頃から好きだった。あの頃は当然『兄』として慕っていた。今は大分ズレてきているが、好きなのには変わりない。だから、小さい頃の自分は、そんなことはしてないと言った。
「してたぜ。同じ事。俺の頭叩いては何言ってるか全く分からない言葉で喋って、自分の思い通りにならなかったら泣いて。少し冷たくされただけでも泣いてたぜ、お前」
返ってきた言葉は柚の行動そのままの言葉だった。叩く場所は違ってもしてる事には変わらない。それを聞かされて、何とも言えない気持ちになった。柚は階段から落ちたらしく、命に別状はないが、落ちた時のトラウマなどが発生するだろうと言われた。俺の所為だ。
「でも謝んない!」
すっと、兄ちゃんの表情が消えていくのが分かる。こういう表情は大体本気で腹が立っている時。怒らせたときに兄ちゃんはこういう表情をする。
「あっそ。なら出て行け」
それだけを零して、兄ちゃんは柚を連れて部屋から出て行った。冷たく放たれた言葉に何にも返答する事が出来ずただ、好きな相手に完璧に相手にされなくなって、頬に雨が流れた。正直言って悲しかった。蹲って涙を拭って声を押し殺して、泣いた。
「……ごめん」
小さく零れた言葉。そこには自分しか居ない。俺だけしか居ないのに、柚に対して謝罪した。もっと他にもあっただろう。普通に相手にしてあげれば良かったのだろう。俺がまだ小さい柚に対して妬いた所為でこんなことになった。それは一生変わらない。許されるわけじゃない。だけど、好きな人にあんなに冷たくされると、俺がどれだけの言い訳を吐こうが、悪いのは俺だ。そこで気が付くのは、好きな人にそんな態度をされたくない、嫌われたくないという感情。
――ギィィ。ドアが少し開かれた。顔を覗かせたのは柚で四つん這いでやってくる。一生懸命にこっちまでくれば、俺の足を小さな手が掴んで「あー」と声を出した。まだ喋れない。だから泣く事でしか自分の感情や状態を伝えることしかできない。そんな小さな生き物。
「ごめんな」
「うー」
分かっているのか分かっていないのか、俺には検討もつかないけれど、兄ちゃんの似の顔をそっと撫でてもう一度「ごめんな」と呟いた。
ドアの向こうから時々動く音がしたけれど、その時は気にせずに柚を抱きしめた。子供だからか、体温は温かくて、そのまま柚の口にキスを落とす。――俺が悪かった。
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