百万回生きた猫 2014-10-16 23:34:04 |
通報 |
何時の事だっただろう、随分昔の事でもうどれくらい前だったかは覚えていないが、
私にも心から愛した人が居てね。その関係は決して甘やかなものではなかったが、とても満たされていたよ。
君や私の様に、気が遠くなる程の長い時を生きる者にとっては、溺れる程の愛や幸せを感じられる時など瞬きをする一瞬の出来事に過ぎないのかもしれない。
それどころか、岸に投げ出されて濡れた体に凍える事の方が、多いのが事実だ。
君の言う恋愛ごっこ、とは、そんな体を守り温める毛皮のようなものかもしれないね。
私の芽が、とても硬いのと同じように。
傷つかない様に、予防線を張って。溺れない様に…その実、花を咲かせたいとも願っている。そんな浅ましい欲にも気づかされたよ。怖くて堪らない癖に、滑稽なものだと何度嘲笑ったか知れない。
ところで、だ。君はどういった相手ならば、本命だと思う?
君が夢中になる、あるいは夢中にさせてくれる者の事かな。
いや、君と同じ百万回を共に生きてくれる者の事だろうか。
それとも最後の一度を共に死んでくれる者の事だろうか。
いずれにせよ、そんな相手と出会える事など、奇跡のようだとは思わないかい。
しかし奇跡なんてものは、易々と起こらないからこそ奇跡と呼ぶのだと思う。
一度の命で百万回程の時を生きてきた私としては…そうだね。
咲かせた花が一度でも実を結んだのならば、優しい雨が乾く土を潤してくれたのならば、
枯れ落ちて、もしまた新たな草木が芽吹いたとしても、共にした時間は本命であったと私は思いたい。
浮気だ、綺麗事だという者もいるかもしれないが、それはそれで良いのだろう。
悔しくも私には、葉から零れ落ちた水を掬い上げる方法が分からないのだからね。
葉に残った雫を眺めて、懐かしむ事くらいしか出来ないのがお恥ずかしい限りだよ。
トピック検索 |