青葉 2013-10-19 22:21:19 |
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「やはり待っていたんだね。」
「待っていたよ。でもね、飛び降りるところを見せて復讐しようと待っていたんじゃないよ。僕にはそんな執念はないし、暇でもなかった。」
口が歪む。早野君は笑っているのかもしれない。
「じゃあ、あの時は僕が早野君のマンションの前を通ると分かっていたんだね。」
そういうことだと思う。
「分かってたよ。でもね、掛井君は僕の家の前を通り過ぎようとしたんじゃない。僕の家に来るつもりだったんだ。それも忘れてしまったの?」
早野君は哀しそうな表情になる。
記憶を辿る。
そう。僕は早野君の家に行こうとしていた。だが何故そうしようとしていたかは思い出せない。あの日、僕は衝撃的な場面を目撃してしまった。そのせいか、その直前の記憶はかなり曖昧だ。
「何故、僕が来ることを知っていたの?」
考えたが分からないので、結局は訊くしかない。
「それはね、掛井君のお母さんから電話をもらったからだよ。」
心が乱れる。
あれから、お母さんの笑った顔をみたことがない。
僕はお母さんの心にも深い傷をつけてしまった。
よく笑い明朗だったのに。僕はお母さんの人生まで大きく変えてしまった。
「お母さんは電話で何と言ったの?」
「これから病気が治った家の子が謝りに行くので家にいてほしい。そんなことを言ったよ。掛井君のお母さんは、誰から聞いたのか、僕が掛井君にマリモの瓶の水をかけられたことを知っていたんだ。」
僕の胸が痛くなる。
お母さんは良かれと思って僕を早野君の家に向かわせたのだろう。謝るのは早い方が良いと判断して。だけど、その結果は僕が衝撃的な場面を目撃することになってしまった。お母さんは、僕を早野君の家に行かせたことを後悔していると容易に想像できた。お母さんの哀しみは僕のしたことだけではなく、自分を責め続けていることにあるのだろう。
僕は言葉が出ない。
「僕はね、謝る必要なんかない、と掛井君のお母さんに言ったんだ。それは本心だったけど、残念ながら掛井君のお母さんは額面通りには受け取らなかったんだ。」
黙っている僕に、そう早野君は続けて言った。
額面通りに受け取らなかった、とはどういった意味だろうと考えていると、早野君はさらに言う。
「掛井君のお母さんは、僕の言葉を、謝罪を受けるつもりはないという意味だと勘違いしたんだ。僕が怒っていると思ったんだね。だから、こう言ってた。お願いだから家の子の話を聴いてあげて下さい。謝罪をするチャンスを与えてあげて下さい。とね。」
「………。」
「僕の本心が解ってもらえなくて残念だったけど、不本意ながら了承したよ。誤解は後で解けば良いと思ってね」
そこまで早野君が言うと、初穂が口を開く。
「何が誤解よ。何であれ掛井は早野君に水をかけたじゃない!謝罪するのが当然でしょう。それに早野君は掛井を恨んでいるのよ。」
声に怯えを含んでいたが、恐怖の中でも自分の意見が言える初穂に感心した。しかし、それを素直に誉める気にはならなかった。また早野君を怒らせるのではいかと思えたからだ。正直な気持ち、早野君は僕にとっても恐怖する存在だからだ。
この世の者ではない。
それだけで充分に恐ろしい。
今のところ僕に怒りをぶつけることはないが、矛先が僕で無いにしても、恐怖する存在が怒るのは怖い。
「何でそう思うの?」
しかし、早野君は怒りを見せずに、そう初穂に訊いた。
「だって、あしは見たんだもん。早野君が掛井に水をかけたところを。早野君は呆気に取られてた。その後も気になって、早野君の様子を伺ってたの。そしたら早野君、泣き出したでしょう。そりゃあ、そうよ。授業中に友達から水を突然かけられたんだから。」
初穂は、早野君が怒らないことに安心したようで、声に含まれていた怯えが消えていた。
「確かに僕は泣いたよ。でも哀しくなかったし悔しくもなかった。僕は嬉しかったんだ。僕への掛井君の優しさが嬉しくて泣いたんだよ。」
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