夕飛 2013-01-13 22:42:07 |
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人間の生活は誰かの犠牲を必然とし形成されている。
よく誰かの犠牲の上に出来た幸せなんて当たり前にしてはならない。なんて言う偽善の学者や政治家を目にするがそれは美談に過ぎない。
これも必然なのだが、そう言う偽善者に限って自らが他人に犠牲を強いるものである。
人間なんて生き物は必ず他人を犠牲にしなくては生きることも幸せを感じることも、はたまた
生きている実感さえ感じられず、生きてる意味を模索し、やがては惰性で流されて緩やかな死を迎えるか、自殺を選択する。
人が人を殺めてはいけないのはわかっていて戦争や紛争、殺人が無くならない最大の理由にして最悪の定義なのだ。
人を殺さない為に人を殺し、戦争を起こさないために又、戦争をやめる為に戦争を起こし、人を殺す。
人間に欲がある以上、全体主義や共産主義は成立しないが人々が口々に願う、戦争のない世界、犯罪のない社会、核のない世界を本当に求めるのであれば理論上は全体・共産主義が最も近いであろう。
が、それは無理な話。
なぜならそれは人々に欲があり、守らないとならない偽善があり、理想があり、今があるからだ。
この言葉の意味が理解しかねるなら
戦争のニュース、貧困のニュース、政治のニュース、世界のニュースを見ながらこれを見返してもらいたい。
そうしたときに人間のエゴと浅ましさと矛盾がわかるだろう。
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