弟子 2026-06-13 18:45:42 |
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( / お疲れ様です。とんでもないです!私も返信に時間を頂くことは過去にもありましたし、こちらは気長にお待ちしておりますので……!冬嗣も縁側で大人しくさせておきます。一週間以上返信が遅れる場合はご連絡頂ける旨も承知しました。ありがとうございます。私としては、ご負担にならない程度に今後もお付き合いして頂ければ嬉しいです。なお、相変わらず楽しませて頂いております。セットアップ理玖君、非常に良いですね。引き続きよろしくお願いします……!
( そんなの聞いてないと言われても、僕の弟子なら決定事項である。受付で先に会計を済ませている間、振り返ってまた下手くそなウインクをお見舞いしておいた。――受付を終えると、担当のセラピストが男女一名ずつ奥から現れた。柔和な女性が浅木くんの前へ来て『お連れ様の浅木様ですね。120分、ヘッドスパ付き全身コースで承っております。お部屋に入りましたら、こちらの施術着に着替えてお待ちください。着替えが終わりましたら、お声がけください』と、個室の方を手で示しながら案内を始めている。開いたドア越しに見える室内は、落ち着いたナチュラルカラーでまとめられていて、ウッディ系のアロマが仄かに香っている。中央には清潔なシーツが敷かれた施術台が一つ。うつ伏せでも苦しくないよう、顔を伏せる部分に穴が開いたタイプのようだ。――対して僕の方は、同い年くらいの男性だった。女の人が良かったな、なんて淡くよぎったが、足裏まで触ってもらうコースだと思うと女性相手には少し申し訳ない気もするので、むしろこれでよかったかもしれない。というのも今回、浅木くんの120分コースに対して、僕は20分で終わる膝下から足裏までのフットコースだ。ヘッドスパ単品も同程度の時間で終わるのだが、髪を弄られたくないのと、寝落ちる可能性があったから候補から外した。そして、浅木くんが施術を受けている間に、僕はスーツの採寸のためここを抜け、何食わぬ顔で舞い戻る――。しめしめと頭の中で計画内容を反芻していたが、担当の男性が『こんばんは。藍原様は……』とコース確認をしようとしたところで、「よろしくお願いします」と食い気味に被せた。男性もすぐににっこりと応じてくれたので、僕も浅木くんと同様に施術着を受け取り、個室に入る直前で振り返って小さく手を振り )
それでは浅木くん。120分後にまた会おうね。ボンボヤージュ。
( / こちらも師匠の企み(?)の真相が見えてきてわくわくしております!
いつも冬嗣さんにリードしていただいてばかりなので、いつか浅木が計画したデートプランでお出掛けもしてみたいな~とも思っております!ぜひ、今後ともよろしくお願いいたします!(何もなければ返信不要です!)
……はい、また。
( 師匠と別れてから、セラピストの女性の案内に従い、個室に入る。照明が落とされた薄暗い室内と、漂うアロマの香り。いかにも"癒されてください"とお膳立てされたような空間に、天邪鬼な自分はむしろ肩が強張った。用意された施術着に着替え、ベッドにうつ伏せになる。空いた穴に顔を埋めると、『それでは、初めていきますね』と女性に声を掛けられて「……お願いします」と返したが、思ったよりも緊張していたのか硬い声が出た。女性の手が肩口に触れて、状態を確かめるようにゆっくりと圧をかけられる。『凝っていらっしゃいますね~』と穏やかながらも手応えを感じているような声色が降ってくると、適当に相槌を打って目を閉じた。ちなみに、今でもドッキリを疑っている。いつ師匠がテッテレーとネタバラシしてくるのか分からない。見知らぬ人に体を触られるのも苦手だし、師匠には悪いが、心の底から癒されるのは難しいかもしれない……。――そう思っていたのも束の間。眠るつもりなんて微塵もなかったのに、ぼんやりと意識が遠のいていく。日々の疲労の蓄積と、プロの手腕を甘く見ていたようだ。施術が始まって五分も経たないうちに、寝息を立てていて )
( / 大学でのテッテレーのためにずいぶんと仕込んだようです(笑)
わ!理玖君のデートプラン絶対に喜びます!味をしめて「師匠を連れ出せ!」という課題を出し始めそうです(笑)今からとても楽しみです……!
では、また何かあった時はいつでもお気軽にお呼びくださいませ!失礼します~。
( 浅木くんが個室に入るのを見届け、案内通り施術着に着替えた。施術台にぎしっと腰掛けて室内を見渡し、環境チェック。ふむ……出発前に弟子のリラックスレベルを確認する必要がありそうだ。そんなことを考えていると、扉をノックする音がして『お支度はお済みでしょうか?』と担当の男性の声が聞こえた。……いけない、彼を待たせていた。「準備万端です」と告げ、促されるままうつ伏せになる。『では、オイルを使っていきますね』と声を掛けられ、すんと鼻を鳴らせば、仄かにジャスミンが香った。そして、ふくらはぎに掌が当てられたまではよかった。足首から膝裏へ手が滑り始めた途端、「ひっ、ひゃはは」と擽ったさに吹き出し、慌てて口を塞いだ。もし弟子が眠っていたら台無しじゃないか!「ちょ、ちょっと待ってみよう」と小声で相談すると、触れ方が合わないらしいと察した男性の提案で、座って足裏中心の施術を受けることになった。ついでに少しだけ様子が気になって「浅木くーん?寝た?」と個室越しに声を掛ける。始まってまだ数分程度だから寝ていない気もするが、念のためのリラックスレベルの確認だ。――その間にも足つぼが始まり、『ここは胃腸の反射区ですね。痛みはありませんか?』と尋ねられたが、少し擽ったい程度でなんともない。質の良い手作りご飯を頂いているのでね、と自慢している最中に指が別の場所を捉え、「く……っぃぃい゛!」と歯を食いしばった。『あ~、ここは目の反射区ですね。酷使されていませんか?』と尋ねられる。最後まで話を聞きなさい!……いや、それどころではない。あと15分もこの拷問が続くのか?もちろん彼は仕事をしているだけだが、浅木くんになら百歩譲って、初対面の君にここまでいいようにされるのは納得がいかない!と独自理論を展開しているところへ、さらなる激痛が襲う。「もぁ゛ぁ゛嫌だっ」と足を引っ込め、困惑する男性に「いやぁ、すっきりしました」と礼を告げた。残りの施術は辞退したいと申し出ると、幸いにも意向を汲んでもらえた。こうして予定の半分、たった10分でフットコースを切り上げた。そそくさと私服に着替え直し、浅木くんに気づかれないよう退室すると、受付に一声掛けてサロンを後にした。今度こそ本来の目的を果たすべく、採寸を予約している仕立て屋へと足早に向かって )
( ――隣の個室から苦痛を訴える声が聞こえた途端、パッと目が覚めた。何回か瞬きをして、朦朧としながら現在の状況を思い出す。寝落ちなんて有り得ないと高を括っていたくせに、いつのまにか意識を手放していたらしい。そして、隣で施術を受けている師匠の声で起こされた。普通、ただのマッサージであんなに絶叫するだろうか。僕と同じコースを受けていると思っていたが、もしかして違うのか。それにしても声がでかい。「……すみません。うるさくて」と師匠の代わりに謝ると、『大丈夫ですよ』と朗らかに笑ってくれた。僕の担当スタッフは女性だが、師匠の方は男性だった。性別によって力加減が違うのだろうか。そんな考えが過ったが、プロならそのあたりはうまく調整するだろうとすぐに思い直した。隣の個室でいったい何が行われているのか。どうしても気になってしまうが、確認する術もなく、その興味は不安へと形を変える。……師匠は今、僕以外の男に触られてるのか。そんなことを考えて何だか面白くない気分になっていると、体を起こすよう指示されて、ついでに『お連れ様は、ご友人ですか?』と問いかけられた。どうやら僕と師匠の関係が気になるらしい。元々師匠のことを知っているなら、予約の名前を見た時点で察するはずだから、わざわざ僕から言う必要はないと判断して「……まあ、いつもお世話になってる人で」と適当に濁した。お世話になってるというか、お世話しているというか。師弟の一言で片付けてしまえば簡単な話だ。けれど、それ以外に僕達の関係を表す言葉がないことに気付いて、少しばかりもやもやした。そうして、師匠がサロンを抜け出したことには気付かないままで )
( 一方、サロンを無事に抜け出した僕は、仕立て屋での採寸を終え、試着用のスーツを身に纏って鏡の前にいた。ウエストの絞りが強く、腰から臀部にかけてのラインまでよく分かる。レセプションパーティーには映えるだろうが、大学の講師としてはどうだろう。鏡に向かって身体を捻り、角度を変えてはグラビアさながらのポーズを取ってみる。動きに伴う布の張りや皺を確かめるには、こうした姿勢が一番手っ取り早い。少なくとも、美術解剖学的には合理的なのだ。(※冬嗣論)「ふむ……随分と身体の線が出ますね。講義にはどうでしょう」と神妙な顔で尋ねると、口元を軽く押さえていたテーラーから『講義の場でしたら、クラシカルな仕立てがおすすめです』と助言をもらい、その方向で話がまとまった。注文書に必要事項を書き込みながら、せっかくなら浅木くんがカッコいいと思う方を選べばよかったな、とふと思う。師匠たるもの、弟子の憧れでありたい。普段は気弱で頼りない父も、スーツに袖を通せば妙にカッコよく見えたものだ。あの頃の僕がそうだったように、浅木くんにもそんなふうに思ってもらえたら嬉しい。そう考えると、出来上がりが少し楽しみになった。――やがて『完成しましたらご連絡します』と丁寧に見送られ、店を後にする。まずはミッション達成。腕時計を確かめれば、浅木くんの施術終了まであと五分ほど。思ったより時間が掛かったが、ホテルは目と鼻の先だ。この立地だからこそ、あのサロンを選んだのだから。小走りに来た道を戻っていると、仕立て屋へ向かったときと同じように、ぽつぽつと雨が降り始めた。まずい、髪が濡れる!慌てて傘を探したものの、手元にはない。どうやら仕立て屋に置いてきてしまったらしい。仕方なくハンカチを頭に乗せながら、ふと疑問が浮かぶ。そもそも一人で銀座に来れば、こんな苦労をせずに済んだのでは?そこで、不意に赤城の言葉が蘇った。『てゆーか、お前一人で銀座に行って採寸しろよ。こんな面倒なカモフラせずによ』――ああ、ようやくあいつの言っていた意味が分かった。いや、本当は初めから分かっていたのだ。手間をかけてでも、浅木くんを銀座へ連れて行きたかった。そうして自分の気持ちを改めて確かめると、なんだか可笑しくなって、ひとり頬を緩めた。まあ、多少雨に打たれたって構わないだろう。そんな満ち足りた気分でサロンへ戻ったのは、ちょうど浅木くんの施術が終わる頃で )
( 次はヘッドスパを行うらしい。他人に頭を触られるなんて普段なら少し躊躇するが、すでに全身の力が抜けてぼんやりしていたせいか、それほど嫌悪感は無かった。リクライニングチェアに座り、ゆっくりと指圧で頭を押される。頭皮から与えられる刺激がそのまま頭の中まで伝わって、脳みそを直接ほぐされているような感覚だ。凝り固まった脳みそのしわが伸ばされて、どんどん、何も考えられなくなっていく。『髪の毛さらさらですね~』と頭上から聞こえる囁き声も、こんな状況では睡魔を誘発する材料にしかならない。結局、ヘッドスパでも睡魔には抗えず、いつのまにか微睡んでしまい、20分が体感数十秒で過ぎていった。頭を包み込んでいた手が離れていき、優しく声を掛けられると全ての施術が終わったことを告げられる。120分なんて長すぎると思っていたのに、いざ終わると呆気なく感じてしまう自分に少し驚いた。――それにしても凄かった。思考のもやが晴れて、体まで軽くなったように感じる。意外と悪くなかったと思いながら元の服に着替え、個室を出ると師匠の姿を探し )
やあ、浅木くん、おかえり……。
( ラウンジを抜けてサロンへ戻ると、まだ浅木くんの姿はなかった。受付で「連れが終わるまで待っていていいですか?」と尋ねれば、快く受付前の椅子へ案内してもらえた。時計を眺めながら、あれから彼はリラックスできただろうか、と考える。施術が始まった頃に声を掛けても返事はなかった。まさか、あの時点でもう眠っていたのか?いや、防音がしっかりしていて聞こえなかっただけかもしれない。それなら、僕の苦悶の声も届いていないといいのだが。――雨でほんのり湿った髪が気に入らず、眉を寄せて手櫛で払っていると、個室から浅木くんが出てきた。すかさず軽く手を振る。よし、どうにか間に合った。あとは何食わぬ顔で迎えるだけだ。下手に躊躇えば怪しまれそうだからね。……ところが、近づいてきた彼の顔を見るなり、別のことに気を取られた。……何か、いつもと違う。おかげで「おかえり」の語尾が妙に歯切れ悪くなってしまう。小さく首を傾げ、「メイクしてる?」と呟いた。もちろん、そんなわけはない。ただ、いつにも増して肌が明るく見えるのだ。立ち上がって、今度はつむじもチェック。僕の気に入っている形はそのままなのに、髪の根元がいつもよりふわっとしている。おまけにアロマのいい香りまで漂ってくるものだから、気づけば両手が髪へ伸びていた。左右からそっと掬い上げ、さらさらとした感触をちゃっかり堪能しながら、肝心の感想を尋ねてみて )
リラクゼーション体験はどうだった?それにしても君の髪の毛がいつもよりサラサラしてる気がする。
……メイク?……なんで、ですか?
( 薄暗い個室から出ると、明るい照明が視界を眩ませた。ただでさえ普段から開ききっていない目をさらに細める。かろうじて目の前が見える程度にしか瞼が開かない。そんな視界の中でこちらに手を振る師匠の姿を見つけると、顔を合わせるや否や、突然身に覚えのないメイク疑惑をかけられて一瞬思考が止まりかけた。眠気の残る頭でしばらく考えても意味が分からず、ワンテンポ遅れて聞き返す。髪の毛をいじられても抵抗することなくされるがまま。いつもだったら手が伸びてきた時点で身構えたり避けようとしたりするところを、全く警戒せずに受け入れている。感想を聞かれると「……寝るつもりなかったのに……気付いたら寝てました」と片目をこすりながら答えた。改めて師匠の顔を見上げ、そちらはどうだったのかと問いかける。師匠の髪が湿っていることには気付かないままで )
……というか、最初の方、ずっとうるさかったですけど何してたんですか。途中から急に静かになりましたし。師匠も寝てたんですか。
顔色の明度と彩度がアップしているからだ。すごいな、綺麗だ。血流が巡ったのかもしれない。
( 眩しそうに目を細める浅木くんが、なんだか眠たげな猫のように見えて、「おやおや、目が開いてないじゃないか」と眦を下げて微笑んだ。僕の問い掛けへの反応もどこかぼんやりしているし。僕が触ろうものなら『やめてください』とか、無言で避けたりしそうなのに無抵抗だし。おまけに、寝落ちしたとぼんやり報告してくる始末。……これはもしや、おねむモードなのか?「引き続き師匠の腕の中で眠るかい?」と口走りそうになったが、浅木くんの鋭い眼差しを思い出してぐっとこらえた代わりに、「こんなにリラックスしている君を初めて見たよ」と少し興奮気味に目を輝かせた。もっとよく見たい気持ちが勝り、髪に触れていた両手を頬へ伸ばす。けれど、包み込もうとしたところで彼が顔を上げたものだから、ぴたりと手を止めた。どうやら施術中の僕の声が聞こえていたらしく、うっ、と目を細め「聞こえていたのか……」とぼそり呟く。それにしても、続けて投げかけられた質問が鋭い。いや、ただ、起きたことを確認しているだけなのだ、浅木くんは。全く、おねむのくせに侮れない。不自然な間を作らないように出来る限り多くの事実を並べていく。くすぐったさと痛みがあったことに関しては眉を寄せて声を落としたが、ちらっと受付の方を見てからフォローも入れる。そして空白を埋めるためにほんの少しだけ嘘を混ぜておいた。いや嘘ではない。痛すぎて、サロンから召されたということにしよう、と慎重に回答を重ねて )
実は、僕はヘッドスパが嫌だったから、代わりにフットコースをお願いしていたんだが……、くすぐったいし、痛いし、……いや、師匠には合わなかったみたいでね。腕前は素晴らしかった。ただ、刺激が強すぎて、そのあとは召されたというわけだ。まあ寝ていた状態とも言えるだろう。
召された?……いや嘘でしょ、もし本当だったら大事件ですよ。
( 顔色が良くなったと言われて、そんなに変わっているのかと自分で頬を撫でてみるが、触り心地だけでは普段との違いは分からなかった。後で鏡を見てみる必要がありそうだ。師匠は、リラックス状態の僕を珍しそうに眺めている。確かに、いつもだったら師匠の前で気を抜くこともないし、目覚めが良い方であまり眠気を引きずらない。しかし、中途半端に寝たり起きたりを繰り返したせいか、先ほどからいまいち意識がはっきりしなかった。施術の感想が返ってくると、あの絶叫はそういうことだったのかと納得する。師匠はくすぐったがりだし、普通に触られただけでも耐えきれなかったのだろう。……でも、召されたって何だ。気絶したってことか? 一瞬聞き流しかけたが、流石にありえないだろうとツッコミを入れる。「ただ寝落ちただけなのに何で誇張するんですか」と、発言の裏に隠された秘密には気付かないものの、妙な違和感を覚えながら首を傾げ )
……まあ、痛みを感じるくらいが一番効き目がありそうで、ちょうどよかったんじゃないですか。
おっと……、"召された"なんて言葉が出たのは、今描いている絵の題材に引っ張られたかな。憑依型アーティストはこれだから困るね。居眠りは瞑想、寝落ちは召される。自分の意思で眠ると決めた時だけが睡眠なのだよ、浅木くん。
( 明らかに鋭さを増してきた弟子の返しに、おねむモードの終焉が近づいているのを感じ、少し寂しくなった。しかし、僕の大好きな誇張表現を見逃してもらえず、内心では息を呑む。浅木くんの言うとおりだ。そもそも睡眠と失神は別物で、失神は一時的な脳血流の低下によって起こる。本当にそんなことになっていたら、サロンは大騒ぎだっただろう。とはいえ、言い訳なら息を吐くように出てくるし、実際に召されたと言いたくなるほど痛かったのだ。痛いくらいがちょうどいいと言う弟子には、さりげなくサロンから離れるべく腕を引きながら、「ちょうどいいものか。楽しめる刺激もあるが、あれは度を超えていたよ」と耳打ちする。そのまま流れるようにホテルの出口へ向かい )
目を使いすぎだってさ。あ、でも、胃腸のツボは全然痛くなかった。君の手作りご飯のおかげで、僕の健康が保たれているようだ。ありがとう。
……どんな絵ですか、それ。
( 途端に口数が多くなる師匠に怪訝そうな視線を向ける。何か隠しているのでは、という疑いは晴れないが、師匠は何もない時でも屁理屈を捏ねがちだから、考えが読めない。半信半疑ながらも、絵の題材には興味を示した。腕を引かれると、少しよろけながらも出口へと歩き出す。文句を言いつつもサロンのスタッフに聞こえないように気を遣って声を潜める師匠が少し面白くて、自然と口角が上がる。たびたび刺激を求めようとする師匠の姿を思い浮かべながら「刺激好きなくせにダメだったんですね」と揶揄った。普段の食事に感謝されると「……はい。こちらこそ、連れてきてくれてありがとうございました」と礼を返した。僕が師匠の身体を健康的に作り変えていると思うと、悪い気はしない。――話しているうちに目が覚めてきて、そういえば傘を忘れていた、と傘置き場を見る。しかし、どこを探しても師匠の傘が見当たらない。ビニール傘だったし、誰かが間違えて持って行ったのだろうか。……仕方ない。駅までの道なら多少濡れてもいいか、と自分の傘を差し出し )
……僕の傘、使ってください。
小さいですけど、ないよりはマシでしょう。
祈りと再生、そして変容。宗教色の強い題材さ。私の今の気分はイエス・キリストというわけだ。
まさに今日の足ツボは、フユツグの受難といえよう。
( 独自理論を重ねたおかげか、浅木くんの注意が僕の描いている絵に向いてくれたようだ。さすが弟子である以前に藍原冬嗣クラスターである、と内心調子に乗った。そして刺激に敗北したことを指摘されると、唇を引き結んでじとっとした目を向ける。でも、その揶揄い方はなんだか悪くなくて、少しにやけそうになるのを抑えながら「好みじゃなかっただけだ」と言い返しておく。今日のことについて素直にお礼を言われると、なんだか擽ったい気持ちになるのと同時に、隠し事をしているのがほんの少しだけうしろめたくなったが、優しさだけが浅木くんへのプレゼントではない。様々な感情を僕から渡すことも必要なのだと考え直し、「またいくらでも連れ回すから、覚悟しなさい」と笑い掛けた。――傘のことなど忘れて傘置き場を素通りしようとしたところで、浅木くんの声掛けに振り返る。……しまった。どこに置いてきたのか問われたら、また言い訳を考えねばならない。ひやりと背に汗がにじむ心地で身構えていたが、優しい提案に呆気に取られてぱちりと瞬きした。礼を告げてから受け取ると、折りたたみ傘を広げた。ふむ……たしかに小さい。でも、身を寄せ合えば少しは雨をしのげるだろうと「こっちおいで」と手招きして )
一緒に入ればいいじゃないか。今日は大事な服も着ているし、風邪を引いてしまうよ。
……それはそうですけど、でも……
( 傘の代わりになるような物はないかと探していると、一緒に入ればいいと手招きされた。瞬間、師匠と二人で傘に入る場面がシミュレーション映像となって頭の中に流れる。ただでさえ小さい傘を分け合い、成人男性二人で相合傘。絶対にお互い肩が濡れる。それなら、師匠が濡れないために一人で傘を使ってもらった方が賢明だ。けれど、折角の師匠の申し出を断っていいのだろうか。僕だけが雨の中に放り出されたまま隣を歩いたら、かえって気を遣わせるかもしれない。躊躇いながらも、すでに心の中の天秤は一緒に傘に入る方へと傾き始めていた。若干恥ずかしい気持ちもあるが、思春期じゃないんだからと首を振って思考を吹き飛ばす。そして、平然を装いながら傘の柄を掴むと、ぐっと師匠の方へ傾けて、歩き出し )
僕が持ちます。ほら、行きますよ。
……君が持ってくれるのかい?でも、それだと……
( 何やら迷っている様子だったが、こちらに来た浅木くんに、ふっと目を細めたのも束の間。傘の柄を掴んで僕が濡れないように極力傾けて先導してくれたのには少し戸惑って目を丸くした。彼の合図で歩き始めたが、頭は内側へわずかに傾く。視線のすぐそばには傘の縁、すっと視線を下げれば、浅木くんは傘の中にほぼ入っていない。恐らく僕が持てば、彼はもっと濡れずに済むだろう。そう続けようとして、ふと言葉を飲み込んだ。もしかすると、浅木くんにとって、自分で傘を持つことが一緒に入る条件なのかもしれない。食事の時は僕が先に食べるのを待つし、何かと僕を立てるような行動を見せる。一方で、当初より扱いが雑になってきたし、たまに揶揄ったり、自分が男だと証明しようとしてきたりはするが……。彼なりの師弟としての振る舞いなのだろうか。なら彼に任せようと思い直し、「悪いね。僕の傘が浮気者だったばかりに。」と、責任を傘に押しつけた。それでも浅木くんが濡れてしまうのは気がかりで、背に腕を回し、歩きづらくならない程度に肩を引き寄せながら微笑みかけて )
ほら、もう少し身を寄せられるよ。この方がお互いに雨をしのげそうだ。
……ところで、浅木くん。君には僕がどう見えているんだ?敬うべき対象なのか、意外と友人に近い存在だったりするのか……、どんな感じ?まだ緊張したりするのかい。
……誰が持って行ったんでしょうね。とにかく、新しい傘は買っておきますよ。
( またもや無機物に責任転嫁している師匠には呆れたが、実際盗まれてしまったのは師匠の責任ではないため何も言えない。しばらく梅雨は終わりそうにないし、傘がないと困るだろうと新しいものを用意しておくことを伝えた。その間にも降りしきる雨がじんわりと肩を濡らしていく。それを見かねた師匠が、傘の内側へ僕の肩を引き寄せた。――こっそり師匠の方へ傘を傾けていたことに気付かれたらしい。……師匠との距離が近い。近いけれど、離れたら濡れてしまって心配をかけてしまう。別に少しくらい濡れたって風邪なんて引かないのに。複雑そうに眉を顰めながらも、しぶしぶ傘の位置を調整して自分の肩も入るようにした。続けて投げかけられた質問には、突然なんてことを聞くんだ、と思わず目を見開いて師匠の顔を見てしまった。サロンで同じようなことを聞かれた時は「お世話になってる人」と答えた。お世話になっているし、こちらが世話を焼くこともある。相合傘は躊躇するけど、適度に揶揄ってもいいと思ってる。憧れているけど、たまに幻滅もする。肩と肩が触れ合うほど近くにいるのに、決して手が届かない。……矛盾だらけの存在だ。だけど、ひとつだけ確かなのは、ずっと隣にいてほしい大切な人だということ。視線を前に向けながら、ぽつぽつと呟いていく。曖昧で的を射ない回答だが、それが素直に口をついて出た言葉だった。 )
今でも、たまに不思議に思うんです。
藍原冬嗣の弟子になってるなんて……夢なんじゃないかって。本当に藍原冬嗣なのかって疑いたくなることもあります。
……でも、あんたが藍原冬嗣じゃなくてもいいんですよ、もう。何者だろうが、大切な人であることに変わりはないので。
……さあ。奴にとって、魅力的な人だったんだろう。……す、すまないね。助かるよ。
( 問いかけた途端、見開かれた真っ黒な目をじっと見据えた。そんなに驚くような質問だっただろうか?こうした反応を見せるのは珍しい気もする。表情を窺いながら、彼の歩幅に合わせて歩く。……いや、彼が僕の歩幅に合わせているのかもしれないが。気が付けば浅木くんの肩を抱く手にはさっきより雨粒が当たらなくなっていて、何気なく傘を見上げた。それでも、なんだかこの距離感が気に入って、離す気分にはならなかった。僕らはもっと気楽な距離でもいいんじゃないか。そう思ったから、僕がどう見えているのか、なんて疑問が湧いたのだ。僕自身もその問いの答えを考えていると、不思議に思うという声にふっと、浅木くんへ視線を戻した。僕の弟子になっていることは、浅木くんにとってそんなに非現実的なことだったのだろうか。それにしても、本物かと疑うというのには思わず息が漏れて、「ゴーストライターみたいな言い方だな」と口を挟んだ。でも、そのあとに続いた彼の言葉は僕の想定以上の答えで、じんわりと胸が温かくなった。自分で思っていた以上に、欲しかった答えだったらしい。小さく笑ってから「そうか。嬉しいね……」と呟く。それから、誰かと暮らす日々を失って以来、静かになっていた僕の日常に、彼が弟子入りしたことで少しずつ人の気配が戻ってきたのを思い返し、掴んだ肩を指先でとんとんと機嫌良く叩きながら )
僕も不思議だなと思うよ。元々、弟子を取るつもりなんてなかったのに、今では浅木くんが来てくれてよかったと思っているし。 ……浅木くんには、もっと気楽でいてくれてもいいと思ったから、こんな質問をしたんだけど。……どうやら、僕らはおきに同士らしいね。黄山くんに自慢して。
……これでも一応尊敬してますから。
友達みたいに接するのは難しいですけど……考えておきます。
( 雨音に混じって聞こてくる師匠の声に、耳を傾ける。大前提として尊敬しているし、年上だし、それこそ黄原みたいに粗雑に扱うことなんて出来ない。それでも、師匠が対等を望んでいるなら、そんな関係も悪くないと思えた。しかし「おきに同士」と聞こえた瞬間、どきりと心臓が跳ねた。ちゃんと意味を理解して言ってるのか?と傘の柄が軋むほど強く握り込み、じわじわと顔が熱くなっていく。気温に反比例して体温は上がっていく一方だ。ああ、考えないようにしていたのに、どうしても意識してしまう。師匠はきっと純粋な気持ちで、僕との距離を縮めたいと思ってくれている。だけど僕の方は、下心が無いとも言い切れない。仮にもあんたのことをどうにかしようとしている男に対して無防備ではないか、なんて師匠を責めたくなったが、僕の気持ちはまだ整理がついていないし、師匠にもしっかりと伝えられていない。それで警戒しろなんて言うのも自分勝手な話だ。しかし、今の距離感はあまりにも近すぎる気がする。師匠の背丈に合わせて傘を高く上げ続けるだけでも大変なのに、肩を掴まれたままでは歩きにくい。くっつかれたままだと心臓が暴れているのに気付かれるのも時間の問題だと、僅かに耳を染めながら離れようとして )
……そろそろ離してください。歩きづらいです。
( / お世話になっております!そろそろ銀座デート編の締めに入ろうかなと思っておりますが、やり残したことがあれば何なりとおっしゃってください……!
今回もとてもとても楽しかったです。小綺麗にしているのが珍しいのかと尋ね、肯定されて悶々としている理玖君が可愛すぎ案件でした(笑)リラックス理玖君も拝めたので、リラクゼーション体験させてよかった……!と心から思いました。今後のイベントにつながりそうな伏線もたくさん出てきて、ほくほくです……。
……本当かい?
まあね、黄山くんのような接し方じゃなくてもいいんだ。わがままの一つや二つ言ってみたりね。
( 彼の友人に、僕らの仲の良さを自慢して欲しいなんていうのもおかしな話ではあるが、おきに……、つまり大切な存在である以上その程度の願望は抱くものだ。浅木くんの反応を待つ間も肩に触れる指先でぱたぱたと小気味よいリズムを刻んでいると、一応尊敬していると言われて、ぱたっと指の動きが止まった。普段は世話を焼かれてばかりだが、彼の言動の端々から尊敬の念は感じ取っている。それでも、やはり嬉しさは隠せず、真意を確かめる言葉にもそれが滲んでしまう。だからこそ、友人のように接するのは難しいという返答には頷く。遠慮のない関係なら、泰雅との腐れ縁が分かりやすいが……、あれは幼馴染特有の雑さもあるだろう。第一、あいつを可愛いと思った事はない。結局、しっくりくる例えは思い浮かばなかったが、考えておくと言ってくれた浅木くんには満足げに笑った。ーー並木通りに再び差し掛かり、駅前周辺の活気が少し戻ってきたところで、離れたそうな声にふっと振り向き「おや、歩きづらかったか」と、ようやく手を退けた。暗がりの中、行き交う車のヘッドライトが彼の顔や耳元を照らしていく。やけに血色がよく見えるが、施術の効果が出ているのだろうか。色々理由はあったにせよ、連れてきて本当に良かった。駅へ続く階段が見えてきたところで「傘のエスコートありがとう」と微笑んでから、何かを思い出したようにはっとして )
あ、そうだ。聞きたいことがあったんだ。
寿司屋で気安くファンサするものじゃないと教えてくれただろう?
君に握手を求められた時に、ハグもするかい?って尋ねた気がするんだが、ブランディングとして軽率だったかい?
( / お世話になっております!今回も楽しくやりとりさせていただきました~!
師匠のためにおしゃれしてきたのに女子ウケのためだと勘違いされたりと見事にすれ違いコントしてましたね(笑) 浅木は師匠の顔が(もちろんそれ以外も)好きなのでなんでも許しちゃうんですけど……。
ギャラリーを隠して僕のことだけ見て!!状態の師匠もめちゃくちゃ可愛かったです。ありがとうございます……!
晩酌も海外遠征も楽しみすぎます!ぜひ人生経験が少ない浅木にいろんな世界を見せてやってください(泣)
さて、次はいよいよ臨時講師の話になると思うのですが、そこで一つ相談させていただきたいことがありまして……。
浅木の同級生として女子生徒を出そうと思うのですが、女子生徒はスキンシップが激しいタイプで、浅木に対して特別な感情はなく友人として接しているだけなのに、はたから見ると勘違いしてしまうかも……?という距離感で動かしてみようかなと思っています。
その女子生徒と浅木が話しているところを見た冬嗣さんが少しもやもやしたりしてくれたらいいな~という魂胆もあるのですが、展開的に問題ないでしょうか……?
( 「わがまま……」と呟きながら師匠の言葉を反芻する。そもそも人に何かを要求すること自体に慣れていないし、家庭環境の影響もあって昔から遠慮しがちだったから、わがままなんて言ってこなかった気がする。それを師匠の前なら言ってもいいと許可された。しかし、僕から何かしたいと言い出す前に、師匠がいろんな場所へ連れ出してくれるから、わがままを言う隙も無い。それに、僕の立場で言えるようなわがままなんて高が知れてる。おきに同士とはいえ、師弟関係である以上、師匠を独占したいという最大級のわがままは胸の奥に秘めておくしかない。それさえも受け止めてくれると期待するほど無謀にはなれなかった。――駅の入り口が見えてくると、屋根がある場所に着いてから傘を畳んだ。師匠からのお礼に軽く頷き返したところで、続けざまに問いかけられて数度瞬きをした。何かと思えば、初対面の時の話か。結局、あの時は流されるままハグしたような記憶がある。僕は嬉しかったけど、やっぱり他の人には気安くそういうことをしないでほしい。思わずわがままの片鱗を見せながら忠告して )
……ハグもダメに決まってるじゃないですか。僕はいいですけど、他の奴にはしないでください。
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