匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
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……おやすみ。
(暗闇のなか、隣からぽそぽそ返ってきた呂律さえ怪しい声に、最後にちらりとだけそちらを見遣る。そこには当然、自分の設けた枕の壁があるのだが、奥にいる娘がすぐさま寝息を立てはじめた気配は柔らかに伝ってきて。思わず音を立てずに小さく笑い、しばらく枕越しに眺めてから、低い小声で挨拶を返す。この糸が切れたような寝つきの良さといい、先ほどギデオンの裾を掴んだままふらふらついて回っていたことといい。ヴィヴィアンは眠くなると、普段も垣間見えるあどけなさが格段に増す性格らしい。それでいて、どんなに限界でもこちらの名前はしっかり呼ぶのだから可笑しなものだ。随分妙なのに懐かれてしまった。……それを決して嫌とは思わぬ自分がいることに薄々気づきながら、体勢を戻したギデオンもまた目を閉ざし。穏やかな暗がりの中へと、意識を手放すことにして。)
(──翌朝。窓の外の小鳥がまばらにちゅんちゅんさえずる声に、ごく自然と瞼を開ける。大抵は夜明け前に目が覚める習慣なのだが、案外深く眠り込んでいたらしい。明らかに疲労から回復し、生き返ったような新鮮な感触。かしそれは普段に比べてであって、それなりに歳を重ねた体には朝特有の心地良い気怠さが新たに纏わりついていた。深呼吸しながらそれとなく顔を巡らせ、眩しそうに細めた目で窓の方角を確かめる。紗越しに差し込む陽射しの角度からして、今は朝の七時過ぎといったところか。船乗りたちが上流調査に出かけるまで、あと一時間半ほどだろう。鬱蒼と茂る森を抜ける気ならば、夜行性の凶暴な魔獣たちが巣に帰るまで、充分時間を置かねばならない。もう朝も迎えたことだし、軽く柔軟してからいつもの素振りをしに出掛けようかと、上体を起こそうとして。そこで初めてそれに気が付き、ぴたりと凍り付いた。……ゆっくりとそちらを見下ろせば、そこには存外寝乱れている若い娘。どういうわけか、それなりに距離を置いてんていたはずが、今やギデオンに寄り添うようにぴったりとくっつき、何ならギデオンの腕にその細腕を絡みつけている。自分自身それをあまりに自然に受け入れていたことに謎の衝撃を覚えつつ、いや、これはまずい、と腹を焼くような焦燥感が芽生えだして。──男と女で、朝は少々勝手が異なる。こんな早朝から疚しい下心など湧くわけもないが、それはそうと、今のギデオンはそれに気づかれれば誤解されかねない状態にあるのだ。同室以上に同衾を避けたかったのはそういう理由もあったというのに、相手は呑気に、何故かやたら幸せそうに惰眠を貪っている有様。そんな場合じゃないと振りほどきたいが、自分の体の具合やら、相手が朝の光になかにさらけだす化粧っ気のない安らかな寝顔やらを思えば、下手に起こすのも憚られ。結局中途半端に半身を起こしかけたまま、早くも片手で顔を覆い、いつもの苦労性に陥り。……どれほどそうしていただろうか、いろいろと落ち着いたころになって、ようやくそっと手を伸ばし、相手の肩を揺り動かす。できれば相手が寝ぼけているうちに腕を引き抜いて、何もなかったことにしたい。上手いこと寝起きが悪いように祈りながら、「ヴィヴィアン、」と何度か穏やかに呼びかけて。)
……ヴィヴィアン、朝だ。起きろ。
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