匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
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……ん。
(甲斐甲斐しい声に振り向くと、唸るような返事をしながら透明なグラスを受け取り。風呂上がりの喉に流し込んだその冷水は、不思議と全身の隅々まで瑞々しく染み渡る気がした。この辺りの湧水なのだろうか、やけに美味いな、とグラスの中身を不思議そうに眺めるギデオンの頭には、もちろん真相など浮かばない──天文学的な確率で最高に相性の良いヴィヴィアンの魔力にかかれば、一般には不味いとされる魔法水さえ良い効能をもたらしたのだ。そうとは知らずに飲み干して喉の渇きを潤す間に、相手はそそくさと浴室に消え、程なくして柔らかな水音がくぐもった具合で聞こえてきた。……さて、とグラスを小机に置けば、部屋全体を改めて見渡す。部屋の面積のほとんどを占めるダブルベッドに、申し訳程度の机とスツール、窓際には革張りの一人用肘掛け椅子。心底残念なことに、カウチは備え付けられてない。防音性のために壁を厚くしているのか、出窓の框ならばギデオンひとりが横向きにゆったり座れる広さがあるが、寝場所としては向かないだろう。どうしたものか、と頭を抱えた矢先にノック音。少し警戒しながら扉を開ければそこにいたのは女主人で、良かったら、とよく冷えた葡萄の皿を差し出してくれた。背後の手押し車の中身を見るに、他の部屋にも差し入れている心配りの品らしい。気遣いに礼を述べ、ついでにロビーにでも寝かせてもらえないか頼んでみるが、お客様にそんな真似はさせられないと涙目で首を振るばかり。ならばこの辺りで野宿できそうな場所は……と言いかければ、女将は途端に目をかっ開き、「絶っっっ対にいけません!!」と猛烈な反対を食らう。夜の魔獣がどれほど狂暴かおわかりでしょうだとか、いくら腕の立つ戦士様でもまともな休息は必要ですだとか、誰かと似たような心配さえ真剣に言い含められれば、流石に観念せざるを得ないというもの。女主人が帰った後、小机の上に土産の皿を鎮座させると、とはいえどうしろと……と再び悶々と悩みながら、化粧品の類が散らばる一角から目を逸らすようにして剣の手入れをしていたが。がちゃりと戸の開く音とともにふわりと漂う甘い香り、ついでほくほくと寛いだ声。何とはなしにそちらを向いた瞬間、さながら様式美のように再び全身が石化する。しどけない、というレベルを超えて、それこそ豊穣の女神でも舞い降りたのかと疑うような光景だった。普段とは髪型の違う、素朴に下ろした濡れ髪。幸せそうに緩んだ唇、桃色に上気した頬。惜しげもなくさらけ出された、はち切れそうな胸元に太腿。真っ白な肩のまろみやしなやかな脹脛、通り過ぎざま魅せつけてくれた薄い肩甲骨の隆起なんて、呆れ返るほどに目に毒だ。おまけに風呂上りとあって、全身が真珠色に輝き、やたら魅力的な匂いがしている。──これは、完全に、駄目だろう。改めてそんな風に、やけに冷静に断ずることができたのは、単に閾値を大幅オーバーしていたからで。普段と変わらぬ涼しい顔にすっと戻ると、いきなり立ち上がり、やけに無駄のない足さばきで自分の荷物の元へ。グランポートで清潔に洗ったいつもの深紅のシャツを取り出せば、相手の顔に被せるようにぼふりと緩く放り投げる。いささか乱暴だが、自分が理性で抑え込む苦労を思えばこうもしたくなるものだ。そのまま相手を軽く睨めば、その無防備さを遠回しに叱って。)
──……、流石に気が抜け過ぎだろう。命令だ、そいつを羽織れ。
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