匿名さん 2019-02-21 15:00:20 ID:804d1d4e1 |
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誘拐という言葉の意味を初めて教えてくれたのは姉だった。その意味が正しかったのかどうかはともかく、彼女が私の耳元に顔を寄せ、ほとんど吐息と変わらないくらいのささやき声で、「ゆう、かい」と口にした時の、唇の生温かさは今でもよく覚えている。目つきはいかにも意味ありげで、声にはぞくっとする秘密のにおいが立ちこめ、いくら子どもの私でも、これは気安く話題にしてはならない言葉なのだなと分かった。姉は私の首に腕を巻きつけ、おでこをくっつけ、できる限り体を密着させて二人の間に小さな暗闇をこしらえ、誘拐、という言葉がそこから外へ漏れないよう細心の注意を払った。そういう大げさすぎる用心深さが、かえって両親に怪しまれる原因になりはしないかと、私は気が気でなかった。
(『不時着する流星たち』/小川洋子/「誘拐の女王」より抜粋)
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