雪風 2015-06-07 23:36:40 |
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僕は進学を心に決めた。
そして一ヶ月が過ぎた。
進学を決めたことは、就職しようと考えていた僕にとって大きなことだったが、特に生活が変わることではなかった。
学校に行き放課後になると図書館に寄り勉強する。そして、家に帰り母屋でお風呂に入り、食事を離れで食べる。
それを繰り返す日々。
そんな中で少し変わったことは図書館から家への帰路だった。
大した距離ではないが以前より遠回りしている。
あの女性の……いや、あの仔猫の家の前を通るの避けた。
何となくだが後ろめたさがあった。
それを感じる必要がないとは分かっていた。
あの女性は、僕が仔猫を飼うことはできないと確実に予想していたのだから。
だから避けるのは僕の気持ちの問題だろう。
後ろめたいのは僕の心の中にあるだけのことだ。
それでも僕は仔猫の家の前を通ることをしてこなかった。
しかし、突然に今日僕は仔猫の家の前を通ることになった。
それは僕の不注意と言えるかもしれない。
僕は考え事をしながら図書館を後にした。
前に受けた模試の結果が良く、第一志望の大学を変えても良いのではなかろうかと思案していた。
ここ一ヶ月は帰り道を変えていたが、考えを巡らしていた為に、そちらに気をとられて、何も考えずに馴れた道を通ってしまった。
気がついた時には仔猫の家のそばに来ていた。
引き返そうか。
そうも考えたが、やはり進むことにした。
もし女性に会うことができたら、挨拶をして、やはり仔猫を飼うことは出来なかったと話せばいい。
それだけのことだ。
それに、ひと月振りにここを通る僕が、たまたま女性が門を出てくる所に鉢合わせる確率はどれ程だろうか。
きっと、女性の顔を見ることなく僕は通りすぎる。
仔猫の家を間近にしてそんなことを考えながら歩いていると、何と女性が門を出てきた。
見事に鉢合わせた。
僕の足が止まる。
女性はまたもや華やかさの欠片もないエプロンをしていた。
女性は僕の姿を認めると、
「やっぱり君が来ていたんだ!」
と笑顔で言った。
笑顔だったが、どこか哀しそうな感じがした。
女性は僕がこの家の前を通るのが分かっていた口振りしをている。
「やっぱり……とは、どういうことです?」
挨拶もなく会話が始まった。
「あの子が珍しく鳴き声出すから、君が来たんじゃないかと思ったの。だから、やっぱり、なのよ。」
あの子とは、あこ仔猫のことだろう。
しかし、猫が鳴き声をあげるの珍しいのだろうか。飼ったことのない僕には解らない。
そんなふうに思っていると女性が、
「ねえ、少しでもいいから時間ない?」
と訊いてきた。
「えっ?ええ。時間ならありますよ。」
「良かった。なら、家に寄っていって。あの子に会っていってくれる。」
仔猫に会えるのは嬉しかった。
一ヶ月も経つと、どれ程大きくなっているのだろう。
そんなことを考えていると、まだ仔猫が飼えないことを謝罪していないことに気付く。自分で言い出したのだから謝罪はしっかりするべきだ。
「あっ。はい。そうだ、あの仔猫を飼いたいと言ったのに、都合で飼えなくて……。そのまま何も言わずにご無沙汰してしまい、済みませんでした。」
僕が頭を下げると、
「ああ、大丈夫よ。そんなことは気にしないで。さあ、入って。」
女性は手招きをして僕を家の敷地内に誘った。
それに応じて門をくぐると、狭い庭があり、奥には小さな古い平屋の家があった。
女性は縁側を指さし、
「あそこに座って待っててくれる。直ぐに連れてくるから。」
そう言って自分は玄関の扉を開けて中に入っていった。
女性が指した辺りに座る。
過ごしやすい季節になっており縁側に居ても、もう寒くなかった。
縁側に座る僕の背中側は障子戸になっていて、家の中の灯りが漏れている。
暫くすると灯りだけでなく声も漏れてきた。
女性の声だ。
「ありゃ、お前。こんなとこまで這ってきてたんだね。そんなに体を動かしちゃ駄目じゃない!」
心配そうな声だった。
それに、女性の
…這って来てたんだね…
と言葉が気になった。
仔猫の体調は良くないことを察した。
家の中から上品とは言い難い足音がこちらに近づいてくる。足音は女性のものだろう。
後ろの障子戸が開き、僕は座ったまま振り向く。
雑然とした部屋を背に女性が仔猫を抱いて立っていた。
仔猫は……ぐったりとして女性の腕の中にいた。
明らかに弱っているのが分かる。
仔猫は一ヶ月前に会ったあの日から全く大きくなっていない。
これでは鳴くことは無いだろうと納得できる。
だが、仔猫は僕を真っ直ぐに見ていた。
そして僕の方に片手を伸ばす。
いや、猫なので片方の前足と表現するべきかもしれない。だが僕には、仔猫が僕に向けて手を差し出している様に見えた。
差し出されたその手が弱々しくて、何だかとても哀しくなった。
涙が込み上げてきた。
僕は振り向いたまま動けなくなってしまった。
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