北風 2018-02-04 01:16:52 |
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一話
五月下旬。
新入生も学校に馴れ、夏も近づき、この殺伐とした学び舎にも浮かれた雰囲気が漂っていた。
具体的に言えば、喧嘩や抗争が減ってサボりや校則違反が増えた。
無法地帯なことに変わりは無いが、それでも僅かに平和になったと言えるだろう。
数少ない一般生徒も、最近は不良の影に怯える事なく心穏やかに過ごせているようだ。
かくいう俺もそうだ。
入学初日に脱不良の決心を固め、なるべく目立たないように過ごしてはいたが、窓から入る暖かい陽射しに否が応でも気が緩む。
今日もそうだった。
昼休みに入り購買へと駆ける雪を見送ると、待ち合わせ場所の屋上に向かう前に、俺は机に伏せて欠伸をした。
中学の時はまともに授業を受けてこなかったので、授業の倦怠感というものを忘れていた。
しばらく休もうと思い、うとうとしかけた瞬間。
眠気を吹き飛ばすような轟音が、俺の鼓膜に響いた。
※
驚きはしたが、その音の正体はすぐに見当がつい
た。
あの、あれだ。
教室の扉を思いっきり開けた時の音。
勢いが付いた扉が、レールを滑って扉の枠に当たる音だ。
昼休みとは言え、教室の中は多くの生徒達で賑わっている。
結果、自然と彼らの目が教室の入り口に向く事になった。
が、その頃には扉の向こうには人影はなく、戸を開けた張本人は既に恐るべきスピードで教室内を突っ切っていた。
そして真っ直ぐに俺に向かって突進してくる。
「うっ……うおお!?」
動揺の余り思わず俺はガタリと椅子を揺らして立ち上がり、防御の姿勢で衝撃に備える。
だが、その行動は杞憂に終わった。
そいつは俺の目の前で急ブレーキを掛け、素早く俺の背後に回り込んだ。
「そっ……宗哉……! か、隠れさせて…………くれ……!」
「雪!?」
しゃがみこんで俺の背中に隠れているのは、雪だった。
雪は基本無表情な為感情が読み取りにくい所があるが、今の彼からは真剣さと危機感がひしひしと伝わってくる。
「ど、どうした……?」
「お……追われてる」
「追われてる!? 誰に!?」
「…………誰かに……」
何それ怖い。
「よ、良く分からんが分かった。とにかくここに隠れてれば大丈夫なんだな?」
「……宗哉が、もう少し身長高けれ、ば……」
「黙れ」
もう半年程待て。
そしたら多分結構伸びる筈──
「失礼します!!!」
俺の言い訳がましい思考を遮るように飛び込んできたのは、威勢の良い声だった。
再びクラス中の視線を独り占めにする出入り口。
が、先程とは違い、扉を開け放った人物は悠然と仁王立ちしていた。
「中等部三年C組二十五番! 布倉ぬのくら苺果まいかと申します! ここは白樺雪先輩のクラスで宜しいでしょうか!!」
※
白前中学校。
白前高等学校の附属中学──ということになってはいるが、同じ敷地内にあるだけで、交流はほとんど皆無に等しい。
元々白前中学校は由緒と歴史のある立派な学舎だった。
が、数年前に何か事件があり、入学者が激減。
それに比例して偏差値もみるみるうちに下がって行き、経営破綻の危機に曝された。
そこで、創立数年目にして同じく経営が立ち行かなくなっていた近所の高校を敷地内に移転し、合併することで事なきを得たのだ。
……という事を、俺は最近知った。
授業中にやたらと雑談をするタイプの教師がこの学校には妙に多く、その内の一人から聞いた話だ。
だがあくまで雑談の範疇の知識量しか無いので、中等部の歴史も、そこで起こった事件の詳細も、俺は何も知らない。
本当に合併しただけで経営がなんとかなったのか、そもそも移転する金が何処から沸いたのか、気になる点も多々あるが、残念ながら雑談の中で教えては貰えなかった。
わざわざ調べてまで知りたくも無かったので、未だ真実は不明のままだ。
そういえば中等部の生徒とこうして向き合って話すのも、これが初めてだ。
これが初めて、なのだが……。
「なんですかあなた! 白樺先輩を出してください!」
「い、いや……そんなこと言われても……」
「そこをどいてくださいー!!」
こんな少女が、初めて対面する中等部の生徒とは。
人間とは集団の中のほんの一部を見ただけで、その集団全体の評価をしがちだ。
無論俺も人間なので例外では無い。
俺の中の中等部のイメージがどんどん迷走していく……。
布倉苺果と名乗る中等部の生徒は、見た目だけ取ればあどけない女子だった。
身長は中学生にしては結構低く、顔立ちも同じく幼い。
腰までの色素の薄い髪は、子供らしくさらさらと柔らかそうだ。
頭の左右で結われた、二束だけ短い髪の房も相まって、小型犬のような印象を受ける。
そうだ、小型犬だと思えば良いんだ。
そう考えれば、この態度も可愛いものじゃないか。
体の小さい犬ほどよく吠えるという。
微笑ましいじゃないか──
「やあ!!」
「ぐっ!?」
前言撤回。
小型犬は正拳突きを出さない。
布倉の繰り出した突きは、身長差の都合で俺の腹部にクリーンヒットした。
俺、幼女に暴力を受けてばかりじゃないか?
突然の出来事だったので驚きこそしたものの、正直言ってダメージはあまり無い。
やることは突拍子も無いが、所詮は小柄な女子中学生か。
よし、ここは先輩らしく紳士的にこの場を収めよう。
布倉の迫力に気圧されて教室の窓際まで追い詰められておきながら、先輩らしくとはなんとも矛盾した話だ。
だが、今からでも挽回してやろうと、俺は俺の考える最も紳士的な笑顔を浮かべた。
つまりは普通の笑顔だ。
紳士に対するイメージが貧困過ぎた。
「ぬ、布倉さん? 生憎今、雪は居なくてね。悪いんだけどまた来てくれるかな? 君が来てた事は伝えて──」
「嘘じゃないですか! 居るじゃないですか! あなたの背後に!」
「…………」
当然だが、騙されてはくれなかった。
「……おい雪、もっとちゃんと隠れろよ」
「……ごめん……」
我ながら酷い責任転嫁だと思うが、雪は素直に謝って俺の肩越しに顔を覗かせた。
途端、布倉の大きな瞳が光った。
「白樺せんぱあああああああ」
「うわああああ!」
俺を飛び越える勢いで布倉が飛び付いてくる。
実際、飛び越えるつもりだったのだろう。
彼女の目には迷いが無かった。
俺は叫び声を上げながら、咄嗟に飛んでくる布倉をキャッチした。
横目で背後を確認すれば、雪は再び俺に隠れて身を縮めていた。
「はーなーしーてーくーだーさーいー!!」
「嫌だ! 離したらお前飛ぶもん!」
咄嗟にキャッチした結果、布倉の脇の下に両手を入れて持ち上げる形になっていた。
彼女のポータブルな体躯は外見以上に軽かったが、そんなことを実感する間も無く突きや蹴りが襲い来る。
「離してください! 下ろしてください! 何もしませんから!」
「し……してるだろ、現在進行形で!」
俺は可能な限り腕を伸ばし、布倉の攻撃から自らを遠ざける。
この状況を誰かどうにかしてくれないものかと周囲を見渡せば、教室中の生徒達は触らぬ神に祟りなしといった様子で各々の昼休みを満喫している。
なるほど、この学校ではこういったスルースキルが身に付くのか。
「はぁ……はぁ……は……離……し……」
いつの間にか、布倉の底無しに見えた体力がもう尽きかけていた。
両足がどこにも付いていない状態でここまで暴れれば、子供でなくとも疲弊して当然だろう。
こんなコンディションの少女に何ができるわけでもあるまい。
俺は布倉の望み通り、その小さな体をそっと床に下ろした。
「はあ……は……あの、あたしの話を……聞いてくだ……さい……」
「お……おう」
床に両手両膝を付き、肩で息をしながら途切れ途切れに言葉を紡ぐ布倉。
そのこちらを見上げる瞳には、並々ならぬ情熱が宿っていた。
「し……白樺雪先輩!」
そのままの体勢で、布倉は雪の名を叫んだ。
俺の身体越しに様子を窺っていた雪が、再びさっと身を隠す。
「あたしを、弟子にしてください!!」
「……」
「…………」
もうやだこんなやつばっか。
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