通りすがりの… 2017-09-18 21:29:58 |
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>>25の続き。
エジソンの泥団子と
>そもそも「2」がどういう状態で存在するのか
という疑問について。
>>25の考え方を採用するなら、エジソンは別の原理を提示したのみです。
「2」とは何か、どういう状態で存在するのか、という疑問も>>25の『1+1=2は仮説 説』を取れば、ただたまたま「2というものがあるとしようか」と用意された空想上の産物でしかありません。
2って何だか分かりますか?と問われたら、はっきり説明できなくても、多くの人の頭には「2のイメージ」が浮かぶはずです。それは、ボールが2つ並んでいるイメージだったり、2等賞と書かれた旗が風になびいているイメージだったり。
これらの「イメージ」に対して付けられた仮の名が「2」なのではないでしょうか。
「2」という言葉があるから、イメージが浮かぶのではなく、イメージが先にあって、それを「2」と呼んでいるだけ。
イメージであれば、それは当然、頭の中にあるもので、現実に存在するものの話ではないので空想です。
空想ですが「それが実在するとすれば…」と仮定することで、色々な計算が可能になりました。だから、使われ続けているだけです。
他のものに例えるなら超常現象と類似。ある地域では、神隠しが起こるから、神がいるのだろうと思われるが、その神を目撃した人はいない。
目撃者がいないのなら、神がいない可能性も考えられるが、どんなに探求しても、神の他には神隠しが起こる理由を説明できるものがない。だから、今のところ、その地域には神がいると仮定をせざるえない。みたいな。
この神様の正体を考えるのは、一見、建設的なようで、実はすごくナンセンスです。そもそもが所詮、仮定に過ぎないからです。
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