風人 2016-04-04 04:41:02 |
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小説『サイボーグ009 完結編』9人の章をそれぞれ思い返すと必ずしも9つの物語に現れたのはみな“神”だけではなかったとも思える。
明らかに“悪魔”あるいはは“悪”の側とも思える存在も彼らにコンタクトをしていた。
だけど“神”も“悪”も00サイボーグを敵に回したくない最低限かつぎりぎりのコンタクトをし動向をうかがっていたとも取れる。
それだけの存在という認識が彼らの側にもあったかもしれない。
“悪”の側は深読みかもしれないけど黒い幽霊団(ブラックゴースト)などを率いてた者たちの言葉だったかもしれない。
敵であってもなお敵に回したくない存在。
『仮面ライダー』などと同様に“親殺し”がつきまとう。小説『009』に限っては善悪に関係なく心は生まれもった存在。
自分の内にありなおかつ他人の内側にある心。
有形でありまた無形。
見えない心の存在だけど如何様にも具現化することもある。
“神”や“悪魔”の姿を取るもしくはそう見えるのも心の在り方しだい。
小説『009』はあとがきを含めて亡き石ノ森先生が到達したひとつの哲学にさえ思える。
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