太陽 2015-12-22 01:12:59 |
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《15話》
「私はずっと、杏菜が羨ましかったんだ」
暫くの沈黙の後、桃菜はぽつぽつと語り出した。
場の全員が彼女に注目する。
桃菜は一人一人の顔をじっくりと見渡しながら喋り続けた。
「……いや、恨めしかったのかな? 運動もできて、勉強もできて、性格も良くて」
そこで桃菜は口を閉ざし、俺の袖を掴んでいる杏菜を見つめる。
そして、今までずっと浮かべていた笑顔を消し、暗く濁った瞳を見開いて言った。
「私には、何も無いのに。
※
……ずっと思ってたよ、私は杏菜に全部奪われて生まれてきたんだって。
いらないものを押し付けられた、脱け殻なんだって。
それならいっそ──消えてしまいたいって思ってた。
だからかな。
あの日、学校の帰り道。
二人で歩いていたとき。
こっちに向かって車が突っ込んでくるのを、避ける気は起きなかった。
気付いたら私は地面に座り込んでいて、そこにはもう車はいなくて。
目の前には杏菜が倒れていた。
姉を庇って死ぬ。
良い話だと思うし、杏菜らしいと思う。
でも、最後の最期まで綺麗な性格でいた杏菜を、私は憎んだ。
そして、少しでも彼女を汚してやろうという思いと、消えたいっていう思いがぐちゃぐちゃに混ざって……私は。
自分の名前が書いてあるランドセルと靴を、動かなくなった杏菜の物と交換して、
※
それから、走ってその場から去った」
『…………』
杏菜の瞳から涙が零れていく。
小さい肩を震わせて、杏菜の話に聞き入っている。
桃菜が抱えているものは、幼い少女には持ちきれないほどの劣等感だった。
同じ顔、同じ体形、同じ声。
何もかも同じだからこそ、圧倒的に違う中身に嫌悪したのだろう。
そして、成り代わろうとした。
それがコンプレックスから逃れる唯一の方法だと、彼女は考えたのだ。
桃菜は一つ深呼吸をすると、また喋り出した。
少し哀しげな表情で。
「……その時は混乱してて……よく考えずに動いちゃってたんだ。後から後悔することになったけどね。
※
当然といえば当然だけど……上手に杏菜になりきる事は出来なかったよ。
まあ、それが出来るなら最初からしてるし。
特にお兄ちゃんの目を誤魔化すのは難しいと思った。
だから、まず声を消したの。
声自体を出さなければ、変なこと喋って正体がバレるような事にもならない。
次に、気持ちを消した。
この頃にはもう全部面倒臭くなってきて、誰とも関わりたくなかった。
姉妹仲は良かったし、杏菜は姉思いの優しい子だったからね。
双子の片割れを失ったショックで『こう』なったという話で、皆納得してたよ。
お陰で学校行かなくて良くなったけど、日中家に誰も居ないから暇で。
何となく事故のあったあの場所に行ってみたんだ。
そしたらそこで出会ったの。
死んだはずの、『桃菜』に。
凄くびっくりした。
びっくりして──悲鳴をあげようとした。
でも、声が出て来なかったの。
出て来なかったというか、出し方を忘れちゃった感じ。
自分は『声を出してない』んじゃなくて『声が出せない』んだ、って気付いて、怖くて怖くて……恥ずかしい話だけど、その場で泣き出した。
『桃菜』は慌てて慰めてくれた。
やっぱり『桃菜』の存在に疑問は持ったけど、余りに生きてる時と変わらない調子だったから、何だか安心して。
落ち着いてきたら、声も出るようになった。
……それで、急に気まずくなった。
『桃菜』は言った、全部見てたって。
私のやった事、全部。
私が視えてなかっただけで、『桃菜』は見てた。
それを聞いて、私はまた堪らなく怖くなった。
絶対に怒ってると思ったからね。
でも、『桃菜』は許した。
呆気なく笑って許してくれた。
何で私が杏菜になろうとしたのか、とか……そういう事は訊かずに。
死んでも変わらない人柄の良さに、私は──苛々した。
早くこの場を立ち去って、一刻も早く『桃菜』の笑顔を忘れたかった。
でも、別れ際に『桃菜』は言った。
『演技でも、ずっと声出さないままだと本当に声出なくなっちゃうよ? 私話し相手になるから! いつでもここに来てね』
……ふざけるな、誰が行ってやるか、と思ったよ。
その時はね。
だけど、その後も気付けば私は『桃菜』の所に通っていた。
何だかんだ言って、私は話せる相手が欲しかったのかな……。
本当に意志が弱い、自分で呆れるよ。
でもある日、その意志の弱さとか、未練を断ち切るチャンスが来たんだ。
私がお兄ちゃんにあげた御守りが、高校で盗られた。
それを一緒に探して欲しいって『桃菜』に頼まれたんだ。
その御守りは、私がお兄ちゃんに教わって作った物で、数少ない『桃菜』の遺品だった。
私は不器用だから、出来は最悪だったけど、お兄ちゃんはそんなのでも大切に持ち歩いてたよ。
まあ、そんなものくらいしか、私の手作りの品なんて無かったんだけどね。
だからこそ、思った。
このままお兄ちゃんが御守りを諦めてくれたら、『桃菜』は消えて行くんじゃないかって。
だから、私は。
『桃菜』より先に御守りを見付けて、別の場所に隠せば……もうお兄ちゃんに見付かる事は無いって考えた。
捨てたり、私が保管する手もあるけど、私は基本お兄ちゃんに見張られてるからね。
見付けたらすぐに隠すのが良いと思って。
それで、必死になって探して見付けてそこから盗み出して──
※
──ここからは分かるよね? ……はい、これでお終い。ふう……喋り疲れちゃった」
そう言って桃菜は話を終えた。
気怠げに溜め息を溢し、俺に視線を向ける桃菜。
暗い目には変わらぬ余裕が満ちている。
挑発的にも感じる、子供らしからぬ毅然とした態度に気圧されかけるが、俺は静かに言葉を返した。
「それで終わりか?」
「うん」
桃菜は迷わず頷く。
当然だと言わんばかりに。
「本当に、か?」
「……そうだけど?」
再確認を不思議に感じたのか、桃菜の表情に怪訝そうな色が滲む。
だがそれも一瞬眉をしかめた程度で、またすぐに薄い笑顔に戻った。
そして念を押すように繰り返した。
「そうだけど、何か──」
「違う」
言葉を俺に遮られた桃菜は、ハッとした様に目を開いた。
「な、なにを──」
「それだけじゃ無い筈だ」
「……」
焦って吐き出した言葉をまたも遮られ、桃菜は少し苛立ちを露にした。
先程のものとは違い、怒りの籠った溜め息を吐き、彼女は一歩俺に詰め寄った。
「何? それだけじゃ無いって。私全部話したでしょ?」
いや、まだだ。
まだ足りない。
確かに今の話は真実だろう。
真相が明らかになり、御守りも返ってきた。
これで杏菜も沖花も救われる。
だが、まだだ。
まだ、桃菜が救われていない。
「じゃあ──」
俺はそう言って一歩前に踏み出した。
袖口を掴んで嗚咽を漏らしていた杏菜が、びくりと身を震わせる。
「じゃあ、お前はあの時、杏菜と何を話していたんだ?」
《15話・完》
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