匿名ゆき 2015-05-17 09:59:59 |
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こう2,3年経つと結構人は変わるもので、以前は聴かなかったであろう音楽が携帯の中に入っているのをみるとなんとも不思議な気分になる
でも変わらないものもあるわけで、それを変えることだけはできないのだろうな
よく言えば一途、悪く言えば強情
きっと俺の部屋には、もう誰も入らないだろうから告白するけれど、タペストリーの裏に「私は誰だ」と大きく壁に落書きしてある
自分自身が誰であるか教えてくれるのは他人であるから、自己を証明せよと言われた場合は他人を頼らなくてはいけない
結局主義思想に溺れたところで、それらは自分を説明するものにはならない
だから証明や説明を放棄する
自分が誰であるかなんてもういいんだ、ただ楽しいことをして、楽しんでくれる人を笑わせてあげられれば…元々それだけでよかったのさ
変わらないものがあると言いながら、変化を告知する文章は自分でも違和感がある
宛ら球がどこに入るか予測できるルーレット、なんて退屈なんだ!
塾講の文句を思い出すよ
Make myself respectable.
幸せを望むひとつの方法、尊敬される人間であれ。
暇なら俺と一緒に微笑みましょう、手なら引っ張ってあげますよ。
なんてね
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