風人 2014-11-30 06:00:58 |
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海堂先生の作品を読んでて思うのは主人公側に立った人物たちを絶対的な正義にはしてないのも魅力。
『螺鈿迷宮』や『アリアドネの弾丸』では白鳥さんは結局は相手側に負けにされている一面がある。
『迷宮』では桜宮巌雄先生からいずれはお前を討つ者が出てくるかもしれないと揶揄し『弾丸』では宇佐美警視の背後にいた斑鳩室長に釘を刺される。
『弾丸』において田口先生が斑鳩室長と白鳥さんの関係についてはなにもできないが故に自分の気持ちを吐露する呟きしかもたされない立場にいてなおかつ客観的に書かれている。
司法と医療の対立は『ナニワ・モンスター』に引き継がれ舞台は浪速府へ。
地域地方の独立を謳うのは日本ではまだまだ夢のまた夢でもあると思う面もある。
『ナニワ・モンスター』を読むとリアルな架空シミュレーション。
インフルエンザウィルス「キャメル」ひとつで地方が中央から分断される恐怖。
患者の隔離とはわけがちがうとも言いたいがある意味においては患者の隔離と地方の孤立分断は似てるところもあることに気づかされる。
『ナニワ・モンスター』で徳衛医師は患者は病気にかかっただけにも関わらず住み慣れた地を離れなくてはいけなく隣近所から追い出された形に終わることに複雑な気持ちを抱く。
このことをマクロにして別角度から見たら地域地方の孤立分断にもなるとも言える。
『ナニワ・モンスター』はミクロとマクロなことが場面場面はちがうけどかなり事細かに書かれてることに気づく。
そしてそれは市民ひとりひとりに無関係ではないことのあらわれ。
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