目的ない潜考

目的ない潜考

青葉  2013-10-19 22:21:19 
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忘れないうちに、短い話を。

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  • No.21 by 青葉   2013-12-09 22:40:55 

「何て顔してるのよ、掛井君。そこまで驚くこと?」
僕の顔を見て初穂が可笑しそうにしている。
「早野彰太……。早野君。」
そう呟きながら、僕は少し酔った頭で考える。初穂の狙いを考える。
何で初穂はそんなことを言うのだろう?
酔いのせいでまともな思考ではないのだろうか。 しかし、それほど酔っているようにはみえない。
では、僕をからかっている?
でも、それはあまりにも悪趣味なからかい方だ。
でも、あえてそんなからかい方をしているのだとしたら?
初穂はあの頃と変わりなく、早野君を追い込んだ僕を恨んでいて僕を責めているのならば、こんなやり方も厭わないのかもしれない。
僕が早野君の話題を喜ばないのは解っているだろう。早野君の名前を聞くだけで僕の心は苦しめられるのだから。
しかし、まるで早野君が生きているかのように話をして、それでどうするのだろう。その後にどう展開させていくのだろう?どう僕の心の傷を衝くのだろう。それは疑問だ。が、初穂はやはり僕への恨みは消えていないと考えられる。そうでなければ、こんな話をしてこないはずだ。もう何年も経っている小学生の頃の恋をそこまでの思い入れをもって過ごせるのか懐疑心もあるが、初穂は早野君のことがそれだけ好きだったということだろう。そう受け止めるしかない。早野君は、もうこの世にはいないのだから。どこを探してもいないのだから。それでも初穂が早野君の話を出すということは、どういった形であれ早野君の存在を感じているということなのだ。
ならば初穂は僕のせいで長い期間苦しんでいることになる。僕は初穂にとことん付き合うことにした。逃げるのは許されないことだ。
しかし僕には迷いがある。僕はどんなスタンスでいればいいのだろう。このまま早野君が生きているように話をすればいいのか、それとも早野君はもうこの世にはいないと言って動揺しながら心の傷をえぐられた自分をさらけ出せばいいのか。
どちらが初穂にとって喜ぶ姿なのか判らない。
「ねえ、掛井君は小学生の時に転校して以来、彰太とは逢ってないんでしょう?」
判らないまま初穂が言葉を発した。
「うん、会いたくても会えなかったから。」
僕は考えてそう答えた。
「ふーん、じゃあ彰太の言う通りだね。」
初穂はグラスを傾ける。その表情は僕の欲しい情報を何ら物語っていない。
「何がその通りなの?」
「彰太は、掛井君とは小学生以来会っていないって言ってた。そこがその通りなのよ。でね、彰太はさ、掛井君にまた会いたいとよく言ってるの。やっぱり妬けるな。」
苦笑いを浮かべる初穂。
「早野君が僕に会いたがっている?」
初穂の苦笑いは自然に感じた。
「そうだよ。彰太はよく掛井君の話をするの。そして、掛井君に逢いたいと言ってるんだよ。逢ってお礼を言いたいんだって。そういえば謝りたいこともあると言ってる。ねえ、いったい二人の間に何があったの?お礼やら謝りたいやら、何かあったんでしょう。すごく興味があるのに彰太は教えてくれないの。そのうち解るからと笑って言うだけなのよね。」
二人の間に何があったかなんて初穂はよく知っているはずだ。そして、僕が早野君からお礼の言葉や謝罪の言葉を貰うことは有り得ないことも確実に解っている。
初穂は僕に何をさせたいのだろうか。僕は何を言えばいいのだろう。
「ねえねえ、彰太には内緒にするから教えてよ。何があったの?」
初穂はあの時のことを話せと言っているのだろうか?しかし初穂は知っている。ならば初穂が知りたいのは、あの時何故あんな行動を僕がとったのか理由を教えろということだろうか。或いは、あの時早野君を傷つけた僕の心情はどうだったかということだろうか。
だが、何故あんな行動をしたのか心情はどうだったのか、僕にも答えることが出来ない。

僕にはあの時の記憶がない。

あの日の僕はとても体調が悪かった。そして早退をした。重い風邪で、そのあと5日間も学校を休んだ。問題の僕の行動は、あの日の早退をする前におこした。
僕の記憶にはないから後から人から聞いて知った。
体調が悪い中での行動だったから記憶に残らなかったのか、忘れたい事だったから記憶から消したのか判断はつかない。
とにかく後から僕は自分の行動を知らされて愕然とした。何故そんなことをしたのか自分のことなのに全く理解できないかった。だが紛れもない事実なのだ。
当時、早野君の席は窓際の後ろから三番目で、僕はその斜め後ろだった。座席の配置はそうだった。
そして僕が早野君にしたこと。それは、僕は授業中に突然立ち上がり歩き出し、教室の後ろにあった台に置かれていた観賞用のマリモが育成されていた瓶を手に取ると、自席を通りすぎ早野君の所に行き、瓶の中の水とマリモを早野君にぶちまけた。
マリモの瓶はけっこう大きかったので早野君は胸の辺りからズボンまでが水浸しになった。そんな早野君を置き去りにして僕は無言で教室を出た。担任の先生は僕をすぐには追わなかった。何が起きたのか解らずに鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたという。いや、先生だけでなくクラス全員が同様の表情をしていたらしい。
僕は保健室に着くとベッドに倒れこんだ。保健の先生は、突然に僕が保健室に入ってきてベッドに倒れこんだので驚いた様だが、呼んでも僕が答えないので、直ぐに検温をして僕が高熱を出していることを調べ、遅れながらも僕を追ってきた担任の先生に、僕の現状を伝えて、僕が歩ける状態ではなかったので母を呼び出した。そして、僕は車で迎えにきた母に連れられて早退をした。
そして早野君は命を自ら絶った。
それだけのことで、人は命を絶つ選択をするだろうかと思うかもしれないが、早野君にとって僕は唯一の味方だった。そのただ一人の味方から、そんな仕打ちをされたのだ。
早野君はクラスの女子から何故かイジメにあっていた。本当に何故かとしか言いようがない。早野君は同性の僕から見ても、とても整った顔立ちのいわゆる美少年で、性格は大人しく嫌われるような存在ではなかった。早野君がクラスの女子に嫌われ始めたのは秋ごろからで、それまでは女子からは寧ろ人気があったと思う。あのクラスは男子より女子の方が力があった。だから男子は早野君をかばうことをしなかった。かばえば次の標的は自分だという恐怖があったのだろう。イジメに参加することはなかったが傍観していた。それは仕方がないことだったのかもしれない。女子のリーダーだった初穂さえイジメを抑えられなかったのだから。それでも初穂は早野君が困っていると、イジメている女子達を、
「やめなよ、早野君が嫌がってるじゃん。」
と、たしなめてはいた。初穂が注意すると女子達はその場を去ったが、初穂が見ていないところでは早野君を苦しめた。
早野君は女子達に何かされそうになると僕の所に来ることがよくあった。僕はそんな早野君を他の男子のように自分がイジメにあう可能性を考えて煙たがったりはしなかった。別に僕が正義感を強く持っていて早野君を守ろうとしていたわけではない。僕はクラスの女子達とは既に良い関係ではなかった。女子のリーダー格だった初穂と前々から関係が良くなかったのだからそれも当然だ。

  • No.22 by 青葉   2013-12-17 23:09:06 

早野君と一緒にいることで女子達にどう思われようが僕の状況は変わらなかった。
では何故、元々女子達と関係が悪かったうえにイジメの対象だった早野君と行動を共することが多かった僕がイジメにあわなかったのか。
それは僕と早野君との性格の違いにある。僕は僕を攻撃してくる者には反撃をした。少しくらいのことは我慢したが、執拗にされると反攻をした。かつて初穂の取り巻きの女子が初穂に気に入られようとしてか、僕にしつこく因縁をつけてきた時は逆襲してその子を泣かせてしまうことがあった。別に暴力を振るったわけではない。我慢の限界を超えた僕の怒声と勢いに呑まれたのだろう。僕がイジメにあわないのは、その一件で僕に喧嘩を売るならば覚悟が必要だと女子達は学んだのだと思う。もちろん影では色々と言われていたことは想像が容易につくが。一方、早野君は僕とは全く違った。早野君は攻撃に対して反撃に転ずるような激しさは持ち合わせていなかった。心優しい少年だった。イジメにあえば、自分に何か非があったのではないかと考える僕とは全く異なった思考の持ち主だった。早野君は自分が何か悪いことをしたのではないかと考えて悩んでいた。僕は早野君に何か非があって女子からイジメあっていたとは微塵も思わなかったから、何故に早野君がイジメあったのかは今でも疑問だ。
とにかく僕は早野君の逃げ場所ような存在となっていた。僕の近くにいれば女子達は早野君に何もしてこなかった。
そんな僕が何で早野君にあんなことをしたのだろうか。女子からのイジメなんか気にすることもなかった僕が、どうして女子達に媚びるように、早野君を裏切ることをしたのだろうか。僕はずっと自問してきたが答えは出ていない。
「掛井君、聞いてる?今、大事なこと話したんだからね。」
回想にふけていた僕は我に返る。
「え?ああ、ごめん。何だっけ?」
「やっぱり聞いてなかったんだ。生返事ばかりしてるんだもん。そうだと思った。」
不満そうに初穂は言ったが、
「帰ろうとしてたのに無理やり隣に座らせたんだから仕方ないか。」
と穏やかに言葉を続けた。
「ごめん、昔のことを思い出してて……、大事なことって?」
僕は初穂の言うことに集中しなければならない。初穂の思い通りにしなければならない。
「もう一回いうのは照れくさいんだけど。」
「ごめん、ちゃんと聴くから。」
僕がそう言うと、初穂は本当に照れた顔になって言う。
「じゃあ言うけど。あたし達、同棲してるの。」
「………。」
どんな言葉を発すれば良いのかやはり迷う。初穂は早野君が生きているという設定で話を進めている。
「あたし、高校を卒業してからアパート借りて一人暮らし始めたのよ。最近そこに翔太も一緒に住み出したの。親には内緒なんだけどね。」
初穂は恥ずかしがりながらも嬉しそうな顔をしている。
これが僕を責める為の演技ならば大したものだと思う。
「へえ、考えてたより二人の仲は進展してるんだね。」
僕は初穂の真意を探るセリフを吐いた。このセリフで初穂が怒れば、もう存在しない早野君が生きている様に話をすることで僕の心の傷に追いうちをかけているのだろう。初穂が怒り出したら、僕はその怒りを受け止めなければならない。
しかし初穂は、
「何だかねー、トントン拍子に同棲することになったのよ。」
自慢気な口調で満足そうな微笑を浮かべた。
僕は完全に解らなくなる。初穂の狙いが何なのか予想もつかない。その後、初穂は早野君との初デートから最近のデートの話や、初穂が作ったご飯を早野君は毎回美味しく食べてくれる話をした。僕は自分で言うのも何だか、それを実直に聴いた。結構な時間だったが誠実に耳を傾けた。
「あははー!ごめん掛井くん。人のノロケ話なんて面白くないよね。でも、言いたくなちゃうのよね。」
初穂は自嘲する。
何だか初穂はとても自然体にみえた。話を聴いている内に早野君は生きていて初穂と本当に楽しく過ごしているように錯覚するほどだ。いや、錯覚などではなくリアルな話を聴いている感じになる。
そんな初穂の言動から一つの考えが生じる。
初穂は僕への恨みを晴らそうとしている。それは間違った考えなのかもしれない。では、何故に早野君が存在しているかのような話をするのか。存在しない早野君と一緒に過ごしていることを嬉々と僕に話をしてくるのか。
初穂から悪意は感じない。嘘をいっている感じもしない。
ならば初穂は本当の事を言っていることになる。
だが早野君はこの世にはいない。
だから僕は思う。初穂は嘘はついていないが、現実ではないことを話していると。
おそらく初穂の頭のなかでは早野君が生きているのだろう。それが酔っている今だけの空想というレベルなのか、普段から早野君が存在していると考えている病的なレベルなのかは今は判断できない。でも、そんなに酔っているようにみえない。
初穂が僕に復讐心がないならば少し病的な所があるだろう。あくまで初穂に悪意がないという前提だが、そう感じる。
僕にとって初穂に復讐されているのより、初穂が病的になっている方が堪える。僕の罪は重い。早野君の人生だけでなく、初穂の人生まで狂わせているのだから。
「ねえ、掛井君。これから家に来ない?翔太に久しぶりに会ってよ。」
初穂が飲み終えたグラスを置いて言った。

ああ、早野君が呼んでいる。

僕にはそう思えた。
初穂にとって早野君は存在している。が、初穂の家に行ったところで僕は早野君の存在を感じることは出来るはずがない。でも僕は行かなければならない。初穂から逃げてはいけない。逃げては罪から逃げることと同じだ。

  • No.23 by 青葉   2013-12-23 20:25:02 

居酒屋を後にして通りに出ると、直ぐにタクシーを捕まえることが出来た。初穂の後について僕も乗り込む。
初穂は自分の家の場所を運転手に伝えた。
早野君の僕への恨みは深いのだと思う。この世になくても僕に憤慨をぶつけてくる。初穂を巻き込んでまでも。
初穂の思いも深いのだろう。小学生の頃の思いをまだ持ち続けるほどに。そこまで早野君のことを好きだったのだから、初穂にとっても早野君が亡くなったことに後悔があるだろう。悪いのは当然ながら僕だが、初穂は自分が何とかすれば助けるとこが出来たのではないかと思ったのではないだろうか。何せ初穂は当時、女子のリーダーだったのだから。そんな思いがあるからこそ、簡単に通り過ぎていく小学生の頃の恋を忘れられず、病的にまでなったのかもしれない。
早野君は亡者であるのに、この存在感はもはや「幽霊」と呼んでいい。初穂にとりついた「幽霊」だ。もちろん初穂が頭の中で作り出したものだが、僕は「幽霊」をそういったものだと捉えている。形はどうあれ「幽霊」とは人が頭の中で造りしものだと考えている。
僕は初穂が生み出した「幽霊」によばれたのだ。もう早野君は言葉を発する事が出来ないが、初穂を介して呼び掛けをしているのだ。
何年経とうがお前を赦さない。
早野君はそう言っているのかもしれない。
もちろん僕は赦されるとは思っていないが初穂はあまりに不憫だ。初穂に落ち度はない。
僕は初穂を救い出す義務がある。早野君のへの罪は僕が一人で背負っていくことだ。
初穂には、現実の世界で健全に生きてほしいと思う。初穂が「幽霊」と出会ってしまったのは僕の責任なのだから、そう切に思う。
初穂のために僕はどう行動すればいいだろうか?
初穂の家に行っても僕は早野君を感じることはできない。早野君は初穂の頭の中だけに存在している。 僕が早野君に初穂を解放するよう説得することはできるはずもない。だいたい心の病とはそういったものではないだろう。どうすれば初穂を現実世界に引き戻せるだろうか。
この難しい試練も、早野君が僕に与えた罰なのだろうか。
僕がそんなことを考えている間も初穂は早野君との幸せな時間を僕に話してくる。
初穂が非現実世界の住人である可能性が益々高まる。それと比例するように僕の罪悪感も上昇する。
初穂はどうすれば目を醒ますだろうか。その答えが出ないままタクシーは、まだ新しく女性が好みそうなアパートの前で止まる。
僕はタクシー代を払おうとしたが、
「今日はタクシーで帰ろう決めてたんだから、あたしが払うよ。」
そう初穂は言って僕に払わせることを嫌がった。
初穂が支払いを済ませ、タクシーは去っていく。
「家はね、二階なの。」
初穂はそう言って階段を上り僕を先導する。
僕は階段を上りながら思う。今日のところは様子をみよう。初穂がどれほど病的なのか程度を測ろう。もしも深刻な程に初穂が病的ならば、僕の力ではどうすることもできない。その時は初穂の家族に連絡して状況を知らせ、後は家族に任せる。それくらいしか僕には出来ない。
そう思ったが直ぐに新たな問題に気づく。
初穂は早野君と逢わせるために家に僕を招待したのだ。初穂には存在するが、僕には存在しない早野君と対面した時、僕はどうすればいいのだろう。
階段を上がる時間は短い。
階段を上り切ると、初穂は階段前すぐの扉の前に立った。表札には初穂の名字である「浅井」とある。
ドアを開ける初穂。
僕は促され、混乱しながら初穂の家の入口をくぐった。
「たただいま!翔太、いるんでしょう?」
初穂は明るい声を出す。
返ってくる声はない。
はずだった。
「お帰り、待ってた。」
が、そう声が聞こえた。
玄関の正面には扉があり、その扉は少し開いていて、中から灯りがもれていた。声はその扉の向こうから聞こえたが、隙間はあまりなく中を伺うことはできない。
「!?」
予想外の展開だ。
いったい声の主は何者だろう。翔太と呼ばれて返事をしたが早野君のわけがない。ならば、僕の知らない「翔太」という名前の男が中にいるのだろうか。
「今日はね独りで帰ってきたんじゃないんだ。翔太が会いたがっていた掛井君を連れてきたよ。」
初穂は靴を脱ぎながら大きめの声で言う。口調は楽しそうだ。初穂が言った内容から僕の知らない「翔太」ではないことが分かる。そして僕は早野君以外「翔太」という知り合いはいない。
ある考えが僕の頭を駆け抜ける。
非現実世界にいるのは僕の方ではないか?病んでいるのは僕の方で、早野君が自分のせいで命を絶ったという、本来なかった架空の世界を造りだし自分を苦しめている。僕は自虐的な世界の中で生きているのではないだろうか。
そんなふうに感じたが、それは一瞬のことだった。
馬鹿馬鹿しい考えだと思う。
「本当!掛井君が!今そっちに行く。」
弾んだ声が扉の向こうから聞こえ、僕と初穂がいる玄関に向かってくる気配を感じる。
声の主が男か女かを問われれば男だと答えるが、何か違和感があった。この違和感はなんだろう。
ほとんど開いていなかった扉が動く。
否応なしに僕は注目する。
扉を開けたのは早野君のだった。
だがそれは、あまりにも僕の知っている早野君だった。
あの頃のままの早野君。小学生のままの笑顔の早野君。
僕の背筋が凍る。
何が起きているのかは分からない。
だが僕の罪はやはり重いのだと思った。
そうでなければ、こんなことは起こらない。
僕は目眩を感じると、意識が遠のいていく。
罪の深さを感じながら、違和感があったのは、男の声ではあったが変声期前の高い声だったからだと思った。

  • No.24 by 青葉   2013-12-30 23:24:30 

白い壁に囲まれた部屋だった。
僕は何の味気もないパイプベッドで寝ていた。
「掛井さん、掛井さん、聞いていますか、私の話。」
全く暖かみを感じない事務的な声がする。
横になったまま顔を声の方に向けると、白衣を着た男がベッドのすぐ近くで丸椅子に座っていた。
その男を医者と認識する。
そうだ、僕は病院に入院中だった。
「聞いてませんでした。先生、済みません。」
そう言うと、
「別にいいのです。いつものことですから。」
と冷めた言葉が返ってきた。
「済みません。」
再度謝罪の言葉を発する。
「今日は私のことを先生と呼びましたね。いつもは先輩と言うのに。」
そう医者が述べた。
首を曲げて医者の顔を直視すると、畠田先輩だった。そうだった。僕は医者を大学の先輩だとずっと勘違いていた。失礼なことをしたと思うが、ここは精神病院で僕は入院中の患者なのだ。そんなことは医者も慣れているだろう。それより、これまで先輩だと思っていた人が医者だと気づくことができたのだから僕の病状は良くなっているということだ。退院も近いのではないだろうかと期待がわき上がってきた。
「先生、僕はそろそろ退院ですね?」
思ったことそのままが口に出る。
「どうでしょう?私には答えられません。掛井さん、あなたの主治医に訊いて下さい。」
「僕の主治医はどこにいますか?」
質問すると、女性の声がする。
「ここにいます。ここにさっきからいますわ。」
僕のそばで座っていた医者の横に白衣の女性が立っていた。顔を見ると初穂だった。そうだ、思い出した。初穂は医者だった。 いや、初穂ではない。主治医の女医だ。
「ああ、申し訳ありません。こんなに近くにいたのに気づかないなんて。」
僕は横になりながら頭を下げた。
「いいのです。あなたは病気なのですから。責めることは何もありません。」
女医は同情するように頷いた。
「主治医の先生、もう僕は退院できますよね?」
改めて女医に質問した。
「構いませんよ。」
素っ気ない言い方だったが僕は安心した。ここを出ることができるのだ。ここは何だか嫌だった。病院に長くいたくない気持ちは当然のことなのかもしれないが、そういった当たり前のことではなく何か奇妙な居心地の悪さがここにはあった。
しかし、安心もつかの間だった。
「別に構わないのですが……。」
女医は再び口を開き、何か奥歯にものが挟まったような物言いをして黙ってしまった。
沈黙が不安を掻き立てる。
「そうそう、そうだった。彼の意見を訊かないといけませんね。」
僕が先輩だと思い違いしていた医者が沈黙を破った。
「彼とは誰です?」
僕が訊くと医者は女医の後方を指しながら答えた。
「ほら、彼女の後ろにいるでしょう?彼の意見が一番大事なことですよ。」
女医の後ろに視線を向ける。誰かいるようだが、女医が邪魔で見えない。体を起こせば見えるだろうと思い、実行しようとした時、女医の頭の上から何かが垂れ下がっていることに気づいた。正確には女医の頭上より少し後方だ。目を凝らすと、それはロープであることが分かる。
「あら、ごめんなさい。」
女医は、自分が僕の視界を妨げていることに気づいた様で、立ち位置を横に一歩ずらした。
すると、一人の少年が僕の視野に入った。
早野君だ。早野君がいた。早野君は笑顔で僕を見ている。
早野君の笑顔は高い位置にある。少年なのにずいぶんと背が高い。そうおもって少し体を起こして早野君の足元をみると、足は地に着いていなかった。
早野君は空中に浮かんでいる……ように思えたが、そうではなく、天井から吊るされたロープにぶら下がっていた。早野君は首でぶら下がっていた。つまり、首をつっている状態だ。
そのことは兎も角、早野君の意見は絶対だ。と、僕も思う。
「早野君、僕は退院してもいいかい?」
そう僕は恐る恐る訊いた。
すると早野君は声をあげて笑う。本当におかしそうに笑う。
すると早野君の体がぶらぶらと揺れる。
ぶらぶら、ぶらぶら。
「早野君、僕はここを出てもいいだろうか?いいよね?ここは嫌なんだ。」
すがるように僕は訊く。
「掛井君、それは虫のいい話だよ。僕をこんなめに遭わせておいて。君はずっとここにいるんだ。出れるわけないだろう。」
笑っていた早野君は急に怒った顔になり、そう言った。

ああ、早野君の恨みは深い。

そう思い、僕は辛い心境になる。
僕の沈んだ表情を見て、再び早野君が笑い出す。ぶらぶら揺れながら声をあげて笑う。その笑い声が憂鬱で耳を塞ぐ。
ここを出ることはできない。早野君が僕を許すことはない。
そう考え、絶望の中でなすすべがなかった。
悪夢ならば醒めてくれ。
そう思った。

  • No.25 by 青葉   2014-01-04 21:46:01 

眩しさを感じて目を開く。
願った通り悪夢から醒める。
そこは灯りのともった部屋だった。
僕は病院のベッドではなくソファーで横になっていた。何とも気だるく、体を動かすのが億劫だった。
僕はソファーで寝るようなことはしない。ここは何処だろうか。自分の部屋ではないと判るが、起きたばかりで現状をしっかり把握出来ない。部屋に置かれている物から判断して女性の部屋にいるようだ。
少しずつ記憶が戻ってくる。僕は居酒屋で酒を飲んでいた。そして、タクシーに乗った。誰かの家に行って、そこで意識を失った。意識がなくなったのは、アルコールを口にしたせいだろうか?
僕は辺りを見渡す。ぐるりと首を動かしていると、人が視界に入る。
そして気づく。ここは初穂の部屋だ、と。畠田先輩と飲んだ後に初穂に会い、初穂の家に来たことを思い出した。
僕が横になっているソファーの正面にテーブルをはさんで早野君が座り、早野君の膝を枕に初穂が眠っていた。
ああ、早野君がいる。小学生のままの早野君がいる。
僕は息を飲む。悪夢から醒めたが、さっきの悪夢以上の悪夢に自分がいることを知る。今度の悪夢は醒めるのだろうか?
夢の中に早野君が出てくることに不思議はない。しかし、ここは現実だ。
まだ悪夢を見ているのか、とも考えるが、そんな幸福は事態ではなく現実だと思う。何故なら僕は意識が遠退く前に同じ体験をしている。現実で早野君を見ている。だからあの時に僕は昏倒した。そう、アルコールのせいではない。現実では起こりえないことを体験して脳がショートしたのだ。一回目は脳が情報を処理できず都合が良いことにショートしてくれたが、二回目になると簡単にはいかない。ショートしてほしいがそうならない。
「掛井君、大丈夫?急に倒れるからビックリしたよ。まあ、考えてみれば当然か。」
早野君は寝ている初穂の頭を撫でながら僕に話し掛けてきた。
そうだった、逃げてはいけない。脳のショートを期待してはいけない。早野君は命をなくしているのに僕を呼び出し、何かを言いたがっているのだから。
「早野君……。」
言葉を出したが後が続かない。
何を言えば良いのか分からない。
早野君は何も言わずに僕の次の言葉を待っている。その表情は、僕を責めようという気持ちが感じられない。寧ろ温かみを感じるくらいだ。だが、早野君が僕を恨んでいることは間違いない。その顔が近く怒りに満たされることは判りきっている。だから早野君のその顔つきは不気味だった。
「早野君の夢を見ていたんだ。」
僕は無理矢理に言葉を発した。
「へえ、どんな夢?」
早野君は優しく訊いてくる。
「早野君が首を吊っていた。そして僕を許さないと言っていた。首を吊りながら、僕をのことを笑っていた。大笑いしていた……。」
僕は体を起こしソファーに座った。早野君を正面にすると僕は早野君を直視出来ず目を伏せた。
「何だか怖そうな夢を見たんだね。」
早野君は少し困ったような声を出した。
僕は頷く。
こんな話をして、早野君が言いたいことを邪魔している。
そう思った。
「でもね、掛井君。僕は首を吊ってないよ。飛び降りたんだよ。」
少し明るい声で早野君はそう言った。早野君が明るい声を出したのは、沈んだ僕の気持ちを配慮してるように思える。あの頃、優しい早野君はそんな気遣いをした。しかし、僕は心の中で首を振る。早野君が僕に心くばりをすることはない。早野君は僕のせいで自ら命を絶ったのだ。
「早野君、やはり君はこの世の者ではないんだね。」
さっき早野君は、飛び降りたと自分で言った。
「そうだよ。掛井君、僕は亡者だ。」
顔を上げて早野君を見ると、今度は早野君が伏し目がちになり、哀しそうな表情をしていた。
「早野君、僕は君が思う通りにするよ。君が僕の命を望むのなら差し出す。でも、悪いのは僕だ。僕だけだ。だから初穂は解放してあげてよ。」
早野君が怒りをあらわにしてからでは言えない。僕はそう思い、初穂のことをこのタイミングでお願いした。
「何で、そんなことを言うの?掛井君。」
早野君は微笑を浮かべて僕を見る。
「初穂を巻き込むことなんてなかったんだ。早野君が恨んでいるのは僕だ。初穂の前に君が現れる必要はなかった。直接、僕の所に来るべきだったんだ。初穂は関係ない。初穂を解放してほしい。それだけきいてほしい。後は君の言う通りにする。」
僕が懇願すると、早野君の表情は怒りに変わった。
「それは出来ない相談だよ、掛井君。」
早野君は下を向く。
言葉は僕に向けられていた。しかし、早野君は僕を見ていない。怒りの表情は、早野君の膝枕で眠っていた初穂に向けられていた。

  • No.26 by 青葉   2014-01-11 21:59:42 

敵意を込めた顔で初穂を見ている。

僕にではなく初穂に?何故だ?

そう思う。
恨んでいる僕に対しては気遣いさえ感じるような顔をするのに、初穂には不快そうな顔を向けている。
「早野君、君が命を絶つことを選ぶことになってしまったのは僕のせいだ。僕だけのせいだ。もう一度頼むよ。初穂は解放してほしい。」
初穂の頭をなでる早野君の手は、いつの間にか止まっていた。
「掛井君は勘違いているよ。そうやって初穂ちゃんを庇う理由なんて掛井君には無いんだ。」
早野君は僕を見つめる。僕に向ける顔には、やはり怒りが見当たらない。
「勘違い?」
早野君は頷く。
「何を?」
「何もかもさ。僕は掛井君のことを恨んでいない。そして、初穂ちゃんを許せないと思っている。」
僕は耳を疑った。僕を恨んでいないと言った。早野君の言動からそんな感じを受けたのは確かだが、言葉にされると戸惑う。僕は早野君に恨まれているのは確かだ。何せ早野君は自ら命を絶った原因は僕にあるのだから。
「どういうこと?早野君が何を言おうとしているか解らない。」
僕は早野君が何を考えているのか本当に解らない。早野君の次の言葉を待つしかない。
「僕はね、掛井君。掛井君のことが大好きで、初穂ちゃんのことが大嫌いなんだよ。」
早野君は僕を恨んでいないだけではなく、大好きだと言った。確かに言った。それは、僕が欲しい言葉ではあるが、信憑性はないと思う。
「僕は君に酷いことをしたんだよ。あり得ない。」
早野君は僕を見つめ続けている。それに耐えられなくなり下を向く。
「掛井君が僕に酷いことをした?僕には覚えがないよ。掛井君はいつでも僕の味方をしてくれた。一度も僕に酷いことをしたりしなかった。」
大いなる皮肉だと僕は感じた。
恨みを感じているからこそ、早野君は初穂を使って僕を呼び出したのだと僕は考えている。何らかの形で僕に恨みを晴らすために。
僕はどんなことであれ受け入れる覚悟でここに来た。なのに早野君は恨み言を吐こうとしない。それだけでなく、僕は酷いことをしていないと言う。

なぶられているのだろうか?

そんなふうに感じてしまい少し声を荒げてしまう。
「酷いことをしたよ!取り返しがつかない程の酷いことを!」
大きな声を出した僕を前に、早野君は僅かに哀しそうな目をする。
「掛井君が僕に何をしたと言うの?」
早野君の目を見て、僕はすぐに落ち着く。何であれ早野君に大声をあげるなどあってはならないことだった。
「マリモの瓶の中の水を早野君にぶちまけた。ずっと頼ってくれていたのに。僕は早野君の信頼を裏切ったんだ……。」
反省して声のボリュームを下げた。
「そうだよ。マリモの水をかけることで、僕を守ってくれたんだ。感謝しているよ、掛井君のこと。」
僕の心が掻き乱される。早野君が僕を恨んでないということは、僕にとって甘美なことこの上ない。しかし、あり得ないことだ。
「やめてくれよ早野君。僕が君に水をかけたあと、君は命を絶った。だけど、すぐにじゃなかった。僕は君に水をかけてから学校を早退し、病気で暫く家を出られなかった。その間君は生きていたよね。」
早野君は頷く。
「 君は僕の回復を待っていたんだ。そして、数日後に飛び降りるところを僕に見せながら命を絶った。そう、許さないというメッセージを残すようにして。どれだけ恨んでいるかを見せつけるようにして……。やめてくれよ早野君、僕に感謝しているなんて言うのは。君が恨んでいるのは僕だ。初穂じゃない。」
力のない声を出していた。早野君が自宅のマンションの10階から落ちていくシーンが思い出された。
「あんなところを見せてしまって、本当に悪いことをしたと思ってるよ。掛井君の心を深く傷つけてしまった。でもね、勘違いだよ。掛井君。」
早野君の目がいっそう哀しそうになった。
「何がだよ。何が勘違いなのか判るように言ってよ。」
そう訊くと、早野君は大きく息をついた。
「僕はね、飛び降りるところを掛井君に見せようとなんて考えたこともなかった。掛井君を恨んでなんかいなかったからね。だいたい、僕は死のうと考えたこともなかったんだ。僕は10階から落ちたけど、死のうとしたわけじゃない。さっき言ったように、落ちたんだ。あれは事故だよ。他の誰かが悪いわけではない。悪いのは誤って落ちた僕なんだ。」
「………。」
頭が整理できず、何も言えないでいると、早野君は言葉を続ける。
「掛井君の不幸は記憶がないことだよ。でも、あの時は病気で本当に辛そうだったから、状況を覚えていないのも仕方ないよ。掛井君は僕を守った。病気で人のことなんて構ってはいられないような状態でありながらもだよ。だから、僕は感謝しているんだ。」
「………。」
僕は疑問を投げようとしたが、何が疑問なのかさえ解らないほど頭が整理されていない。懸命に言葉を探していると、早野君は視線を僕から下の初穂にうつし、
「ここからの話は掛井君だけに聞かせることじゃない。」
そう言うと、
「起きろー!」
と初穂に向かって大声を出した。

  • No.27 by 青葉   2014-01-17 21:43:07 

僕がビックリする程の大きな声だった。寝ていた初穂にはさらなる驚きだっただろう。
初穂は飛び起き、膝枕で寝ていた体勢から早野君のとなりに行儀よく座る格好に納まった。
「何?どうしたの?」
寝起きの初穂は間の抜けた声を出している。
「あっ、掛井君……。そうだった、強引に連れてきたんだっけ。」
初穂は正面のソファーに座っていた僕を見つけて瞬きをした。
「初穂ちゃん、聞きたがってことを教えてあげるよ。」
早野君は、さっきとうって変わって穏やかな口調で初穂に話し掛けた。
初穂は隣にいる早野君の方に顔を向ける。
「翔太……。さっき大きな声を出したのは翔太?」
初穂は寝ぼけた顔をしている。
「そうだよ。ビックリさせちゃったかな。ごめんね。掛井君が来てくれて少し興奮しちゃた。」
「いいの。でも何て言ったの?寝てたらか判らなかった。」
「別に、起こしただけだよ。ありがとう、掛井君を連れてきてくれて。」
「そう。ならいいや。何か怒ってる声のような気がしたから。」
「そんなことより、僕と掛井君の間に何があったのか知りたがってたでしょう。」
「うん。知りたい。凄く興味ある。翔太のことは何でも知りたいの。」
初穂は覚醒してきたようで、ハッキリした顔つきになり始めた。
二人が会話する様子を伺っていると、何かが変だ。そんなふうに感じる。
「何があったのか、しっかりと初穂ちゃんにも聞いてほしい。僕が掛井君に何でお礼が言いたいのか、それと何で謝りたいのかをね。」
「うん。知りたい、知りたい。」
二人の会話を聞きながら僕は気づく。
おかしいのは初穂の目線だ。
初穂の顔は早野君の方を向いているが、早野君の頭一つ上に向けて話をしている。
早野君は正面に向き直る。
「掛井君、いろいろ疑問があるだろうね。例えば、初穂ちゃんは僕が死んでいるのに、こうしてここに僕が居ることに疑問を持たないのかとかね。」
なるほど。と思う。僕は自分のことばかり考えていて、そこまで考えていなかった。しかし、目の前で起きていることは現実離れしている。僕の頭も自分で思ってる以上に混乱しているのだろう。だが、そう言われればそうだと思うくらいは働いている。
少し考えると、早野君の言葉のうえで疑問が浮かぶ。
「早野君、初穂は何で小学生と付き合っている自分を受け入れているの?」
本人を前にして聞いて良いことなのか判らなかったが、そんなことは構っていられない。
「掛井君、呼び捨てにしないでよ。遠慮がなさすぎ。まあ、翔太がいいと言えば別にいいけどね。」
早野君より先に初穂が反応した。そして、
「それより、二人とも何を言ってるの?死んでるとか、小学生と付き合ってるとか。意味不明。解るように話してよ。」
と続けた。
だが早野君は初穂を無視して、僕の質問に答える。
「掛井君、初穂ちゃんは小学生と付き合ってるつもりはないんだよ。掛井君には当時の僕を見てもらっているけど、初穂ちゃんには成長したらこうなるだろうという僕の姿を見せているんだからね。」
そんなことが出来るのかと思うが、そうならば初穂の目線のことは納得がいく。
そして早野君は、
「それに、本当に付き合ってるわけじゃないからね。」
そう初穂の前で平然と言ってのけた。
初穂の顔が歪む。
「ちょっと翔太!どういう意味!?」
早野君は初穂を相手にせず、僕を直視している。
「初穂ちゃんが付き合っているのは、僕らの知らない他の誰かだよ。」
「翔太!ねえ、何の冗談なの!」
初穂が叫ぶ。だが早野君は初穂を見ようともしない。
僕は言う。
「でも初穂は話してた。早野君と付き合い始めた頃から最近のことまで。とてもリアルだった。作った話しとは思えなかったけど。」
これが思った通りの感想だ。
「それはそうだよ。初穂ちゃんは実際に体験したことを言ってるんだから現実味があるよ。ただ相手は僕じゃない。初穂ちゃんが今付き合ってる他の誰かだよ。僕は初穂ちゃんの記憶をすり替えたんだ。他の誰かと僕とをね。」

  • No.28 by 青葉   2014-01-29 20:35:26 

「何故そんなことを?」
そう僕が言うと同時に初穂が大声を出す。
「ねえ!翔太!何言ってんだか解らない!それに、本当に付き合ってるわけじゃないってどういうことなの!答えて!こっち向いて!」
早野君は首を捻り初穂を見る。
「こう騒がれると掛井君と話せないな。」
冷たい目だった。
「翔太?」
「仕方ない、初穂ちゃんの記憶を戻そう。戻すと騒がしくなると思って、まだ記憶を戻す時じゃないと思ってたけど十分に騒がしい。」
早野君はそう言うだけだった。他に何をしたわけではない。しかし、初穂は突然苦悶の表情をし、
「ううっ。」
と、うめき声を出し両手で頭を抱えて前のめりの姿勢になった。
「ごめんね、掛井君。初穂ちゃんの記憶はすぐに戻る。それによって、僕と付き合っている事実なんてないことに気付き、僕が死んでいることを思いだす。」
初穂が苦しそうにしているのをよそに早野君は僕に話しかける。
「何を謝っているの?」
「掛井君を待たせてしまうことを、だよ。初穂ちゃんは混乱してさらに騒ぐと思う。それをおさえるまで待っててね。でも、今のままよりその方が早いと思うんだ。」
「それより、何だか初穂は辛そうだけど大丈夫なの?」
「心配することないよ。だいたい掛井君は初穂ちゃんがどうなろうと心配することなんてないんだ。」
早野君がそう言って暫くすると、初穂はガバッと顔をあげた。顔に苦悶はなかったが、口をパックリ開けて驚いたような表情をしている。
「何これ?何なの……。」
初穂は早野君を見る。
「記憶が戻ったんだよ。僕の言ったこと納得できたでしょう。付き合ってなんかいないんだ。」
そう早野君が言い終わる前に初穂がわめく。
「あんた死んだはずでしょう!?何で生きてんのよ!おかしいじゃない!何これ!」
早野君が言った通り初穂は混乱した。
「大丈夫だよ、初穂ちゃん。ちゃんと僕は死んでるよ。」
「あんた誰よ!早野君じゃないでしょ!誰よ!」
「記憶だけでなく、視覚も返してあげる。これで初穂ちゃんは全て元通りだよ。」
騒ぐ初穂と対照的に早野君は冷静に言葉を発した。すると初穂の目線が頭一つぶん下がり、早野君の顔を見ている。
そして直後に初穂の悲鳴が響いた。
初穂にとっては突然に小学生の早野君が現れたのだろう。
「初穂ちゃん、近所に迷惑だよ。」
初穂は立ち上がり、
「ちょっと、本当に何これ!?」
そう言いながら、後退りする。一歩二歩と、早野君を見据えながら後退する。
「これが本当の姿だよ。僕は小学生から成長してないからね。まあ、死んでいるのに本当の姿も何もないけど。」
初穂は恐怖している。
「幽霊……」
青ざめながら初穂が呟く。
「そういうことだね。」
初穂はまた一歩さがる。
「何しにここに来たのよ?あんたが死んだのは、こいつのせいでしょう!ここに来る必要ないじゃない!こいつにとり憑けばいいじゃない!」
初穂は僕を指差しながら震えた声で怒鳴った。
「違うよ。掛井君は悪くない。僕が死んだのは事故だよ。誰も悪くない。」
「なら、あたしも悪くないんでしょう!何でここにいるのよ!成仏しなさいよ!」
「僕が死んだことについては、そうだね。初穂ちゃんは悪くないのかもしれない。落ちる気なんてなかったのに落ちてしまった僕が一番悪い。」
「じゃあ、さっさといなくなって!」
「僕が死んだことは、僕のミスだよ。だけど初穂ちゃん、初穂ちゃんは僕に何か言うことはないの。掛井君に言うことは?」
早野君は冷静に言う。が、何だか凄みを感じた。
「あるわよ!早くどっか行って!ここから、こいつを連れて出ていって!あたしの家よ、ここは!二人して出ていけ!」
初穂は再び僕を指差しながら金切り声をだした。
「その言葉で僕は吹っ切れたよ。初穂ちゃんへ心をかける必要はもう何処にもない。でも、僕はそんな初穂ちゃんの言葉を待っていたのかもしれない。これで僕は掛井君のことだけを考えればいい。」
「ならば二人で話してよ!ここから出って何処かで二人で仲良くしなさいよ!」
初穂は怒鳴り散らしているが、青い顔をして怖がっている。
「初穂ちゃん、座りなよ。そして僕の話を聞いて。」
「出ていけ!」
「初穂ちゃん、話を聞いてくれるまで僕は出て行かないよ。座りなよ。」
早野君はソファーを叩いて初穂を促す。
「もう嫌!誰か助けて!」
初穂はそう叫ぶと、くるりと反転して早足で玄関の方へ逃げ出した。初穂を僕は目で追うが、あっという間に部屋から出て玄関の方に消えていった。と思ったが、初穂はすぐに部屋に戻ってくる。僕に後ろ姿を見せ、後退りしながら。
玄関から後ろ向きで戻ってくる初穂の足取りは頼りないもので、震えているのが分かる。
「初穂ちゃん、話を聞いてよ。さあ、ソファーに座って。」
突然、玄関の方から早野君の声が聞こえた。
僕は初穂から目を離して正面を見るとソファーにいたはずの早野君がいなかった。
そして後退りする初穂を再び見ると、初穂の正面には早野君が憤怒の表情で、初穂を追いたてながら部屋に入ってきた。早野君はどういう方法かは解らないが先回りして初穂の進行を妨げたようだ。
早野君の怒った顔は、見れば誰もが戦慄するだろうと思えるほどの怖さがあった。将にこの世のものではない。
初穂は元いた場所まで後ろ歩きで移動すると、ペタリとソファーに腰をおろした。
「初穂ちゃん。次また逃げ出したら僕は自分を抑えることができるか判らないよ。それから大きな声も出してほしくない。大人しく黙って僕の話を聴いてよ。僕を怒らせないほうが初穂ちゃん自身のためになる。」
早野君は初穂の横に立ち、憤怒の表情を崩さず、低い声を出して初穂を脅した。
「お願い掛井君、助けて……」
初穂はすがるような目で僕を見た。
「掛井君のことを、こいつ呼ばわりしておきながら都合のいい時だけ頼るな!僕の話を黙って聴けと言ってるだろう!一生とり憑くぞ!」
早野君が激昂した。今まで怒ってはいても抑制していたようだが初めて大声を出した。それでも早野君の気持ちは収まらないようで、初穂の正面に立って初穂を見下ろしながら言葉を追加する。
「別にお前がどうなったって僕は知ったことじゃない。何なら僕と同じ世界に来てもらってもいいんだ。」
初穂は目に涙を溜めながら早野君を見上げている。
初穂が恐怖しているのは明らかだったが、僕もまた尋常ではない怖さを感じている。早野君が幽霊であることに加えて、早野君の怒りに恐怖を感じている。
「早野君、初穂も僕も話を聴くよ。だから座ってよ。初穂、そうだろう?」
僕がそう言うと、初穂は早野君を見ながら何度も頷く。恐怖のあまり早野君から目をそらすことができないでいるようだ。
早野君は背中越しに僕を見て言う。
「そう掛井君が言うなら。」
早野君はフワリと初穂の隣に座った。
僕の方を向いた早野君の顔は無表情だった。表情から怒りが消えていて僕は少し安堵した。
初穂は早野君に横に座られて震えている。
「さて、さっきの掛井君の質問だけど。何で僕が初穂ちゃんの記憶を書き換えたかはね、掛井君に会うためだよ。幽霊は恨みのある者にとり憑いてしまうんだ。思い入れは掛井君の方に強くあったけど、恨みは初穂ちゃんにある。僕がこの世に戻ってくるには初穂ちゃんにとり憑くしかなかったんだ。でも会いたいのは掛井君だった。だから僕は考えたんだ。初穂ちゃんの記憶を成長した僕と付き合ってることにして、僕は掛井君に会いたいことを強く訴えた。初穂ちゃんが掛井君に会った時に、ここに連れて来てくれるようにね。僕は、初穂ちゃんに空いた時間があればいろんな理由をつけて出掛けさせた。行き先は掛井君の生活範囲だよ。主に自宅や学校の周辺だね。思ったよりも早く初穂ちゃんは掛井君を連れて来てくれたよ。」
「僕に会うために……。」
僕は早野君に恐怖を感じているが反感も生まれた。僕に会うために初穂の記憶を操作したと言うが、それではあまりにも初穂が不憫だ。早野君は初穂を恨んでいるようだが、初穂は早野君がクラスの女子に嫌がらせを受けている時、目についた時は庇っていた。そんな初穂にその仕打ちはないと思う。
「そうだよ、掛井君に会うためだよ。もっと早く掛井君をここに連れてくる方法もあっただろうけど、僕は敢えてこの方法を選んだんだ。」
僕に生じた嫌悪感をよそに早野君は淡々と話す。
「初穂ちゃんは楽しそうに毎日を送っていた。それが赦せなかったんだ。だって、一方で掛井君は自分を責め続けて味気ない人生を送っているんだから。掛井君がそうなってしまったのは僕が死んでしまったせいだけど、本来は掛井君が楽しそうにして初穂ちゃんが自分を責めているのが自然なんだ。」
そうだろうか?僕は早野君にマリモの瓶の水をかけるという、とんでもないことをした。それに比べて初穂は早野君を庇い続けていた。僕の方が悪いはずだ。
早野君は続ける。
「僕は掛井君の誤解をといて、掛井君が僕にとらわれることなく生きていって欲しいと思っている。それが僕がこの世に戻ってきた一番の理由だよ。だけど、初穂ちゃんの今を見て、初穂ちゃんへの復讐もしたくなったんだ。だから、会いたかった掛井君にではなく初穂ちゃんのもとに現れた自分の状況は好都合だと思うようになった。何故らな初穂ちゃんに復讐しながら掛井君の誤解をとくという一石二鳥を狙えるからね。本来は初穂ちゃんへの恨みを晴らすことはあまり考えてなかったから、恨みを晴らすと言っても大したことじゃないけど。でも、自分のしたことが、どういうことだったかを気づかせること。それを掛井君の前ですることをしたくなった。掛井君が背負ってきた罪は初穂ちゃんの罪だったと言っていいからね。それから、記憶を奪って僕と付き合っていると思わせたのも復讐のうちかな。でもそれはとるに足りないことだよ。記憶は、初穂ちゃんが掛井君を連れてきたら返すつもりだったし、実際そうしている。後は、僕という幽霊を見せて怖がらせたのも復讐の一つになったね。」
掛井君の言葉が止まったのを確認して僕は訊く。
「僕を恨んでいるのじゃなくて初穂を恨んでいるというのは解せないよ。だって早野君は僕に見せるように10階から飛び降りたじゃないか。誤って落ちたというけど、タイミングが良すぎる。僕に見せるために自宅のベランダから落ちたんだとしか考えられない。君は僕に水をかけられてから数日間は生きていた。学校にも行っていた。早野君、君は僕に飛び降りるところを見せる機会を待っていたんだろう?僕が病気を治して外に出られるようになり、そして君のマンションの前を通るのを待っていたんだ。偶然に君が落ちるのを目撃したなんて僕には思えないよ。」
僕はずっと早野君を死なせてしまったのは自分に責任があると思って生きてきた。この世にいない早野君に真意は訊けなかったが、僕の目の前で飛び降りた事実が、僕をそう信じこませたし、僕以外の人も皆がそう考えた。早野君がこれから何を言おうとしているのか解らないが、僕はやはり自分に罪があると思う。確実に初穂より罪深いと思う。
「それはそうだよ。偶然ではないもの。僕は掛井君を待っていたからね。」

  • No.29 by 匿名  2014-08-31 13:24:53 

携帯のスペックが低く、
最後まで表示されないから
別窓で開けるようにアンカーw

>28
ひっそりと続きを待ちたいw

  • No.30 by 匿名  2014-08-31 13:26:27 

む?駄目か…
>28以降のレスが表示できない

  • No.31 by 匿名  2014-08-31 13:28:13 

これで31番目のレス!
さすがに表示されるじゃろw

別に開けるようアンカー
>27 >28 >29 >30

  • No.32 by 八代目やしろ  2014-08-31 21:37:22 

これは続きが気になる…!
こういう小説を書ける人は
すごいなあ

  • No.33 by 青葉  2014-10-30 01:05:41 

おや、
匿名さんに、やしろさん。

知らぬ間に
コメント
ありがとう。
お客さんの来るトピになったね。

  • No.34 by 青葉  2014-10-30 01:25:23 

「やはり待っていたんだね。」
「待っていたよ。でもね、飛び降りるところを見せて復讐しようと待っていたんじゃないよ。僕にはそんな執念はないし、暇でもなかった。」
口が歪む。早野君は笑っているのかもしれない。
「じゃあ、あの時は僕が早野君のマンションの前を通ると分かっていたんだね。」
そういうことだと思う。
「分かってたよ。でもね、掛井君は僕の家の前を通り過ぎようとしたんじゃない。僕の家に来るつもりだったんだ。それも忘れてしまったの?」
早野君は哀しそうな表情になる。
記憶を辿る。
そう。僕は早野君の家に行こうとしていた。だが何故そうしようとしていたかは思い出せない。あの日、僕は衝撃的な場面を目撃してしまった。そのせいか、その直前の記憶はかなり曖昧だ。
「何故、僕が来ることを知っていたの?」
考えたが分からないので、結局は訊くしかない。
「それはね、掛井君のお母さんから電話をもらったからだよ。」
心が乱れる。
あれから、お母さんの笑った顔をみたことがない。
僕はお母さんの心にも深い傷をつけてしまった。
よく笑い明朗だったのに。僕はお母さんの人生まで大きく変えてしまった。
「お母さんは電話で何と言ったの?」
「これから病気が治った家の子が謝りに行くので家にいてほしい。そんなことを言ったよ。掛井君のお母さんは、誰から聞いたのか、僕が掛井君にマリモの瓶の水をかけられたことを知っていたんだ。」
僕の胸が痛くなる。
お母さんは良かれと思って僕を早野君の家に向かわせたのだろう。謝るのは早い方が良いと判断して。だけど、その結果は僕が衝撃的な場面を目撃することになってしまった。お母さんは、僕を早野君の家に行かせたことを後悔していると容易に想像できた。お母さんの哀しみは僕のしたことだけではなく、自分を責め続けていることにあるのだろう。
僕は言葉が出ない。
「僕はね、謝る必要なんかない、と掛井君のお母さんに言ったんだ。それは本心だったけど、残念ながら掛井君のお母さんは額面通りには受け取らなかったんだ。」
黙っている僕に、そう早野君は続けて言った。
額面通りに受け取らなかった、とはどういった意味だろうと考えていると、早野君はさらに言う。
「掛井君のお母さんは、僕の言葉を、謝罪を受けるつもりはないという意味だと勘違いしたんだ。僕が怒っていると思ったんだね。だから、こう言ってた。お願いだから家の子の話を聴いてあげて下さい。謝罪をするチャンスを与えてあげて下さい。とね。」
「………。」
「僕の本心が解ってもらえなくて残念だったけど、不本意ながら了承したよ。誤解は後で解けば良いと思ってね」
そこまで早野君が言うと、初穂が口を開く。
「何が誤解よ。何であれ掛井は早野君に水をかけたじゃない!謝罪するのが当然でしょう。それに早野君は掛井を恨んでいるのよ。」
声に怯えを含んでいたが、恐怖の中でも自分の意見が言える初穂に感心した。しかし、それを素直に誉める気にはならなかった。また早野君を怒らせるのではいかと思えたからだ。正直な気持ち、早野君は僕にとっても恐怖する存在だからだ。

この世の者ではない。

それだけで充分に恐ろしい。
今のところ僕に怒りをぶつけることはないが、矛先が僕で無いにしても、恐怖する存在が怒るのは怖い。
「何でそう思うの?」
しかし、早野君は怒りを見せずに、そう初穂に訊いた。
「だって、あしは見たんだもん。早野君が掛井に水をかけたところを。早野君は呆気に取られてた。その後も気になって、早野君の様子を伺ってたの。そしたら早野君、泣き出したでしょう。そりゃあ、そうよ。授業中に友達から水を突然かけられたんだから。」
初穂は、早野君が怒らないことに安心したようで、声に含まれていた怯えが消えていた。
「確かに僕は泣いたよ。でも哀しくなかったし悔しくもなかった。僕は嬉しかったんだ。僕への掛井君の優しさが嬉しくて泣いたんだよ。」

  • No.35 by 八代目やしろ  2014-10-31 00:02:58 

やはり待っていましたとも!w
続きに大歓喜ですo(^∇^)o

  • No.36 by 青葉  2014-11-13 00:57:25 

やはり、待っててくれたのかぁ(^-^)

では、続けるよ。

  • No.37 by 青葉  2014-11-13 01:07:48 

早野君は、優しさと言った。さっきも、マリモの瓶の水をかけた僕に感謝していると言っていたが、人にそんなものをかけることが、そんなに良いことなのだろうか。
「優しさ?」
初穂も同じ気持ちだったのだろう。怪訝な面持ちで、そう言った。
「さあ、もう話を進めていこう。僕は長くここにいられないんだ。僕は話終えれば、必ず思いを遂げて消滅してしまう。その前に、お母さんの所にもいかなければならないからね。」
早野君は淡々と言ったが、僕の心は乱れた。
やはり、母親に会いたいんだ。
そう思うと何とも哀しくなった。
「僕が話したいのは、掛井くんが僕に瓶の水をかけた日のことだよ。」
と、早野君は喋り始めた。
「あの日、掛井君は朝からとても具合が悪そうだった。僕は後から登校して教室に入ったけど、その時には既に掛井は自分の席でグッタリとしていた。僕は直ぐに声を掛けた。掛井君は、何だか体が気だるくて。と答えた。僕が、帰った方が良いと言うと、掛井君は、今日はお母さんに用事があって午前中は家に誰もいない。どうしても辛ければ保健室に行くから大丈夫だよ。と、既に充分に辛そうな表情で返答した。その時、担任の先生が入ってきて、朝の会を始めると号令を掛けたので、僕は掛井君のそばを離れて自席に着いたんだ。そして、一時間目が始まったけど、僕は気になって斜め後ろの席の掛井君の様子を何度も伺ったんだ。掛井君は教書を開いてはいたけど、ノートは取ることができずに、ずっと虚ろな目をしていた。僕は、何で先生は気づかないんだろうと疑問に思った。一時間目が終わり、僕が掛井君に。また声を掛けるために席を立とうとしたんだ。でもその時、僕の席の周りに何人かの女子が集まって来た。」
早野君が言葉を切ると、空かさず初穂が口を出す。
「女の子達が?何をしに来たの?」
当時クラスの女子のリーダー的な存在だった初穂にとってはことさら気になることの様だ。だから、
「簡単に言うと僕を困らせに来たんだよ。」
と、早野君が答えると直ぐに反応する。
「困らせるって、女の子達は何をしてきたの?」
「たわいもないことと言われれば、その通りかもしれないことだけど、僕に色々な質問を投げ掛けてきたんだ。最初は、この中で一番誰が可愛いと思うか?だったかな。僕が答えに困って、明確に答えないでいると、何でちゃんと答えないのか問い詰めてきた。僕は完全に黙ってしまった。何で?と問われてもどう答えればいいのか分からなかったから。すると今度は、なんで僕がそんなにハッキリしない性格なのかを聞いてきた。よってたかって言われたんだ。いつも嫌がらせはされていたけど、あの日はそういったパターンだったんだね。」
早野君が初穂に顔を向けて言うと、少し気後れしたように初穂は二度頷いた。
「僕は結局その休み時間の間、掛井君に声を掛けることが出来なかった。休み時間が終わって先生が教室に戻って来るまでの間、女子達は僕を解放しなかったからね。掛井君は僕の斜め後ろの席にいるのに歯がゆかったよ。そして、二時間目も僕は掛井君の事が気になりチラチラと後ろを見ていたんだ。掛井君はやはり教科書を広げていたけど辛そうな表情をしていた。先生は、僕が後ろをよく見ていることに気付いて、注意をしてきた。そこに気付いて、何で掛井君の体調不良に気付かないのか不満に思ったけど、どうしようもなかった。」
「そんなに心配なら、掛井の様子がおかしいと先生に言えば良かったじゃない。」
初穂が再び口を出した。
「その通りだよ、初穂ちゃん。でもね、僕には言えなかったんだ。きっと初穂ちゃんの様に快活な人には解らないだろうな。授業中に手を挙げて先生に何かを言うことの難しさなんて。それから、皆の注目を浴びる恐怖なんて。でも、掛井君が辛そうにしているのに、そんなこと程度が出来ない僕の弱さは罪があるんだと思うよ。」
早野君は済まなそうな目をして、僕をチラリと見た。
「友達がそんな状態になってるのに、そんなことも出来なかったの?信じらんない!」
初穂は咎める口調になる。初穂の心境も複雑なのだろう。早野君への恐怖の気持ちと、持ち前の強気さがせめぎ合いをしているようだ。
「その気持ち解るよ。あの時の僕が逆の立場でも、きっと何も言えないでいたと思う。」
僕はそんなことを言っていてた。早野君を擁護したかったのではなく本当思ったことを口に出した。
早野君は少し笑って頷いたが、掛井君ならそんなことないよ、というような表情をしていた。
「変なの、お互いに、友達の為になる行動を何も取らないと言ってるのに、解り合ってるなんて。」
初穂は僕たちを馬鹿にするように言った。
「さあ、続けて。」
僕が早野君を促した。
「うん。そうだね。続けるよ。二時間目が終わり、今度こそ僕は掛井君に声を掛けようとしたんだ。でも、直ぐに女子達がまた駆け寄ってきて僕を囲んだ。そして、僕は席を立ちかけていたんだけど座らせられてしまった。前の休み時間と状況は同じ。女子達は僕にどうでもいい質問をしてきた。少し違うのは、一時間目が終わった後の休み時間の時より、女子達はみんな楽しそうだった。きっと女子達は気付いたんだ。」
そう言うと早野君の目が冷ややかになった。それに気付かず初穂は、
「何によ?」
と強い語調で訊いた。
「掛井君の状態にだよ。いつもの掛井君ならば、僕が女子に虐められていたら何かしら助ける行動をとる。例えば、女子に囲まれて僕が困るような質問をされていたら、掛井君か割って入ってくるよ。でも、掛井君は何もしなかった。女子達もおかしいと思って僕に話し掛けながら掛井君のことも見ていたんだ。そして、掛井君の具合が悪いことに気付いた。女子達は、掛井君の邪魔なく僕に好きなことが出来ると考えたんだと思う。」
「女の子達は、そこまで考えたのかしら。」
早野君の言葉に対して初穂は否定的な意見だった。
「考えたと思うよ。僕の周りに集まったのは、初穂ちゃんの取り巻き達だけだったからね。」
「なにそれ!あたしは関係ないじゃない。あたしはそこにいなかったわよ!」
矛先が自分に向いたことに腹を立てた初穂が語気を強めた。
「そんなことは解っているよ。当事者は僕なんだから。でもね、関係ないことはないよ。僕は女子達から虐めを受けていたけど、でも僕に何もしない女子も結構いたんだよ。僕に嫌がらせをしていたのは初穂ちゃんが仲良くしていた女子ばかりだった。」
初穂とは対照的に早野君は冷静にそう答えた。
「あたしは早野君を虐めたことなんてないわ!」

  • No.38 by 青葉  2014-11-15 22:39:09 

初穂は怒っているようだ。が、確かに初穂は間違ったことは言ってないと思う。僕は初穂が早野君を助けているところしか見たことがない。
「その通りだよ。解っている。」
早野君は素直に同意した。
しかし初穂は、
「話がこんな流れじゃなければ、言うつもりもなかったけど、あたしは早野君のことを助けたことが何度もあるわ。なのに、そんなふうに言われるなんて頭に来るんだけど!」
と語気をさらに強めた。今は、恐怖が怒りに勝っているのだろう。
「初穂ちゃんは僕を助けてくれたよ。忘れていない。」
早野君がそう言うと、早野君の発言内容と冷静な態度に初穂は少し頭が冷めたようで、
「そりゃあ、あの日、女の子達が早野君にそんなことをしていたのに、気づけなかったのは悪かったと思うわよ。でもね、あたしは当時学級委員で忙しかったから、休み時間もクラスの仕事をすることが多かったのよ。気付かないこともあるわ。」
と、トーンダウンした。そして、
「でも、それでも謝らなくちゃね。朝からずっとそんなことか続いていたのに、気付かなかったんだから。ごめんね。」
と、謝罪をした。
「初穂ちゃんは僕の保護者じゃないんだから、そんなこと謝らなくていいよ。僕は全く気にしてないから。」
初穂か謝罪したのに対して、そう、早野君は冷たくいい放った。初穂は不満そうに、
「じゃあ、何であたしに怒ってるのよ……」
と、呟いた。
早野君は、その呟きには反応しなかった。
「さて、話を進めないとね。二時間目が終わると、予想通りに女子達が急いで駆け寄ってきた。僕も急いで掛井君に声を掛けようとしたんだけど、僕の隣の席には、僕が席を立つことを阻止する役目の女子がいたからね。だから、席を立とうとしても無理だったんだ。結局、僕は集まってきた女子の答えにくい質問を受け続けて休み時間を終えた。掛井君の邪魔が入らない状況を女子達は楽しんでいたんだと思う。三時間目に入ると、掛井君の病状はいよいよ悪化したみたいだった。教科書を開かずにいたし、右手に鉛筆は握っていたけど、頭を垂れながら左手で、その頭を抱えていたからね。でも、その頃になると、僕にも問題が発生していた。いや、その前から少しづつ僕はその問題と向き合わされていたんたけど、三時間目か始まって15分もすると、僕は掛井君のことを気にしている状態ではなかったんだ。」
「何よ、問題って?」
初穂は、僕と違って黙って話を聴くことは出来ないらしい。
「僕はトイレに行きたかったんだよ。二時間目あたりからね。三時間目のその頃は、我慢するのが大変だったくらいに。」
早野君は無表情ながら、初穂に顔を向けて淡々と言った。初穂は、そんな早野君を見据えながら、
「そんなに差し迫ってたんなら、授業中だろうと先生に許可を貰ってトイレに行けば良かったじゃない。それとも、それも注目を浴びるのが嫌だったから言わなかったというの?」
と質問をした。
「そうだよ。それにトイレに行きたいというのは恥ずかしさも加わるからね。さらに先生から、何で休み時間の間にトイレを済ませなかったのか、と怒られるのは目に見えているよ。」
「差し迫ってるんだから行けば良いじゃない。それに、そんなことであの先生が怒るかしら。優しい物分かりの良い先生だったじゃない。」
初穂の言葉に早野君は首を振った。
「それは違うよ、初穂ちゃん。初穂ちゃんの様な活発な生徒には、優しく物分かりが良い先生かもしれないけど、僕の様な面白味のない生徒には先生の対応は変わるんだ。いくら先生といえど好き嫌いはあるんだよ。」
「早野君は、あの先生が嫌いだったんだね。良い先生だったのに。」
初穂はそう言って、早野君のことを否定的に笑った。
僕には早野君の言ってることが正しいと思えた。僕も先生から好かれていない生徒の一人だったから共感出来るのかもしれない。
「とにかく、僕は三時間目を何とかやり過ごした。トイレに行きたい衝動を乗り切ったんだ。でも、休み時間が来ても僕は席を立てなかった。女子達から逃れられなかった。懸命に頼んだけど女子達は、僕の自席から移動したいという一生懸命の頼みを、面白そうに阻止するだけだった。」
「正直にトイレに行きたい、と言え良いじゃない。それが恥ずかしかったの?」
初穂は馬鹿にしたような顔をする。
「そんなことを言ったら、女子達はさらに面白がって僕を開放しないよ。まあ、言おうが言うまいが同じだったんだけど。そして、四時間目が始まった。その四時間目が、掛井君が僕にマリモの瓶の水を掛けた時だよ。もう解るよね?掛井君が何故、僕に水を掛けなくちゃならなかったのかを。」

  • No.39 by 青葉  2014-11-19 20:09:38 

早野君はトイレに行きたかった。
と、
僕が水を掛けた。
これを繋ぎ合わせようと考えようとしたが、早野君は直ぐに喋り出す。
「僕は四時間目が始まってから程なくして、とうとう我慢出来ずに自分の席に座りながらオシッコを漏らしてしまったんだ。恐れていた事態になって、目の前が真っ暗になったよ。」
早野君は僕に視線を向けて、僅かに笑った。笑ってはいたが楽しそうな顔ではない。自嘲だ。
「失禁を……」
何かを言わなければいけないと思ったが、そこまでで止まってしまう。何を言うべきか解らない。
「そうだよ。失禁したんだ。5年生にもなってね。」
少し間を空けてから、
「仕方ないよ。女子達に邪魔されて朝からトイレに行けなかったんだから。」
と、僕は言った。間が必要だったのは、自嘲する早野君にどんな言葉を掛けるべきか選んでいたからだ。傷つけないように。
「あまね。でも、僕は絶望したんだ。だって、いくら女子達のせいと主張したところで、きっと当の女子達からだって、それまで以上にそれをネタに馬鹿にされるだろうし、男子にもからかわれる未来が想像できたからね。教室でオシッコを漏らすということは、そういうことだと思わない?もう、恥ずかしくて、どうすれば良いのか解らなくなった。どうにか誰にも気付かれない方法はないかと考えたけど、濡れたズボンと足元に溜まった自分のオシッコは隠せない。いずれバレてしまう。そう思って僕は途方にくれた。でも、そこで思いがけなく救世主があらわれたんだ。それが掛井君、君だよ。」
早野君は、僕を真っ直ぐに見て、そう言った。僕に大事なことを伝えようとしているのだろう。 自嘲の表情ほ消え失せ、真剣な眼差しになっている。
早野君は続ける。
「最初に気づいたのが掛井君だったのは、僕にとってこの上ない幸運なことだった。おそらく、掛井君は具合が悪くて下を向き続けていたから、直ぐに僕の失禁に気づいたのだと思う。そして掛井君は、ためらいなく僕を助ける為に行動を起こした。他の誰かが気づく前にと思ったんだろうね。辛いのに体を動かしてくれた。」
早野君の話を聞いて、僕は記憶を辿る。早野君の言う通り、あの日は朝から具合が悪くて辛かった。それは覚えている。でも、それ以上のことは覚えていない。とにかく辛かった覚えだけで、早野君を助けようとした記憶は全くない。でも、僕がマリモの瓶の水を早野君にかけたのは確かだ。クラスの皆が目撃をしている。
「掛井君は派手な音をたてて立ち上がったよ。後ろの机にイスをぶつけてね。その音で皆の注目が掛井君に集まった。具合が悪い掛井君には、立ち上がるのに勢いが必要だったのかもしれない。そして、フラフラと教室の後ろへ向かって歩き、マリモの瓶を手に取った。教室の中は静まり返っていたと思う。皆が掛井君に注目していて、僕の失禁など誰も気づくことはなかったよ。掛井君は瓶を持って自分の席を通過して、僕に横に立つと素早くマリモの瓶の水を僕に掛けた。そうすることで僕の失禁に形跡を消した。そして、瓶を僕の机に置くと、またフラフラと無言で歩いて教室を出ていた。そのまま保健室に行ったんだったよね。そして僕は救われた……。水を掛けたら直後は、僕にも何が起きたのか判らなかった。突然のことで僕も呆気に取られていたんだ。でもね、掛井君が助けてくれたことに気づくと、凄く嬉しかった。だって、掛井君は自分を悪者にしてまで僕を救ってくれたのだから。初穂ちゃんの言う通り僕は泣いたよ。でも、掛井君に酷い目に遭わされたから哀しくなって泣いたんじゃない。掛井君の優しい気持ちが僕に向けられていることが、涙が出るほどに嬉しかったからなんだよ。」
早野君は、僕に向けた目線を外さない。
「だからね、僕が掛井君のせいでマンションから飛び降りたなんてことはあり得ないんだ。」
早野君は力を込めて、そう僕に言た。
すると、
「掛井は、熱でわけが解らなくなって、早野君に水を掛けただけじゃない。別に助ける気なんてなくて。」
と、初穂が横槍を入れる。僕には善の心などない、という言い方だ。だが、僕にもその善の心がした行為を覚えていない。初穂の言う通り、僕は朦朧として早野君に水をかけただけなのかもしれない。
だが早野君は、初穂に辛辣な言葉を投げる。
「本気で言っているの初穂ちゃん?そんなに僕に好都合な偶然があると真剣に思うの?馬鹿だね。僕が失禁した直後、丁度よく掛井君の症状が重くなって、わけが解らなくなり、僕の失禁に気づいてもいないけど僕に何故か水を掛けに来た。それで結果的に僕を救うことになった。ということ?無理があるよね。あれは考える迄もなく掛井君の意思だよ。本気でないのなら、そういった人の気持ちを素直に言葉に出来ないなんて、初穂ちゃんは嫌な大人になったもんだね。それに、大人になった割には思考も稚拙だよ。」
早野君の言葉が初穂には癪に触ったようで、
「小学生のくせに生意気なことを言うわね。」
と負け惜しみの言葉を吐いた。
「僕は小学生じゃないよ。亡者だよ。」
早野君は首を動かして初穂の方を向いてそう答えると、直ぐに僕の方に向き直り、
「もう一度言うよ。僕は、掛井君のせいでマンションから飛び降りたわけじゃない。掛井君に感謝することはあっても恨みなんてないんだから。だから、復讐なんて考えもしなかった。何せ、掛井君が僕に水を掛けたのは悪意からじゃない。僕を守るためだったんだからね。」
僕が思ってきた過去とはまるで異なる話を早野君はしている。その話が本当ならば、僕は何の為に今まで自分を責め続けながら生きてきたのだろうか。
「僕はね、このことを言いたくて、掛井君に会いに来たんだよ。そして、それについて謝罪をしにきたんだ。」
早野君はそう言うと、言葉通りに、
「掛井君、ごめんなさい。僕が卑怯者だったせいで掛井君を長く苦しませてしまった。本当に、本当に、ごめんなさい。」
と、僕に向けて深々と頭を下げた。そして頭を上げようとはしなかった。
それを見て、僕は少なからず狼狽える。そして、
「早野君か卑怯者?」
そんな言葉が口から出ていた。
「そう。僕は卑怯者だよ。本当にごめんなさい。」
これまでずっと、心の中で謝罪をしてきた早野君から、逆に謝罪を受けている。僕は何とも不思議な気持ちになった。
「頭を上げてよ。それから僕は早野君を卑怯者だなんて思わないよ。」
そう。僕は早野君をそんなふうには思えなかった。
早野君は首を横に振る。
「 僕が、授業中に失禁し、それを掛井君が隠そうとして水を掛けてくれた。僕の失禁を隠すには、掛井君が悪者になるしかなかった。それを僕が早く誰か言えば良かったんだ。そうすれば、こんなことにならなかったんだよ。僕は自分の恥を晒す勇気がなかった。言うチャンスはいくらでもあったのにだよ。クラスの皆や先生には言えなくても、掛井君のお母さんから電話をもらった時に言えばよかった。5日間もあったんだから、自分のお母さんは話してもよかった。でも、僕は掛井君に会ってからにしようと、問題を先送りにした。それは僕の弱さだね。掛井君の名誉を早く回復させるべきだったんだ。僕はバチが当たったんだよ。だからあんな事故を起こしてしまったんだと思う。でも、それによって掛井君は長いこと苦しむことになった。僕の罪は重いね。 掛井君が自分を悪者にして僕を守ろうとしたのに対して、僕はあまりにも卑怯者だよ。」

  • No.40 by 青葉  2014-11-26 19:34:37 

早野君は頭を上げて、済まなそうな表情をした。
「じゃあ、何で飛び降りたのよ?」
初穂が訊く。
それは僕も知りたいことだ。
「だから、さっきも言ったけど意図して飛び降りたんじゃないよ。僕は落ちたんだ。あれは転落事故なんだよ。あの日、掛井君のお母さんから電話かあった後、 掛井君が来るのを今か今かと待っていたんだ。僕の為に悪者になってくれた掛井君に5日ぶりに会えるのが嬉しくて、少しでも早く掛井君の姿が見たくなって僕は自分の部屋からベランダに出た。少しすると掛井君が自転車に乗ってマンションに向かって来るのが見えたよ。僕は手を振りながら掛井君を大声で呼んだ。でも、掛井君には聞こえなかった。まだ僕の声が届く距離ではなかったんだね。ただでさえ家は10階なんだし、高いところにいた僕には聞こえない街のザワつきだってあるもんね。でも、僕はベランダの柵から身を乗り出して、もう一度掛井君に呼び掛けようとしたんだ。そしたら……身を乗り出し過ぎた……。そして、掛井君は見てしまった。僕が落ちていくのを。」
「………。」
僕はまた何を言うべきか悩む。結局は無言になる。
早野君も僕の言葉を待ってるのか、何も言わない。
だから必然的に初穂が口を開くことになる。
「そう……。早野君は掛井君を恨んで命を絶ったんじゃないのね。分かったわ。それに、掛井君が授業中に早野君に瓶に入っていた水をかけたのも、早野君の失禁を隠そうとしてのことなのね。……それも分かったわ。」
初穂は僕を再び君付けして呼び始めていた。
「不幸なことだったのね。掛井君の記憶がしっかりしていれば、こんなことにならなかったのにね。でも、病気だったんだから、しょうがないけど。とにかく掛井君は悪くないわね。……うん。早野君、あたしは分かったよ。掛井君は悪くない。早野君が言いたいこと分かった。」
初穂が神妙な顔つきで言うと、
「それは良かったよ。」
と、対照的に淡々と早野君は言った。
「でもさ、早野君。当時、皆が誤解したのは仕方ないわ。タイミングから考えて掛井君が悪いと思うもの。早野君は、掛井君に水をかけられた後に、掛井君が見ているところで飛び降りることになったんだから。」
初穂は諭すような口調になっていた。僕に非がないと思ったようだが、早野君が僕のせいで命を絶った、と皆が考えたのは無理ないことだ、と言っている。内容はその通りだと思うが、初穂の言い様が鼻についた。何故なら、上からものを言っている様に思えたからだ。
「あたしね、早野君が何であたしに怒っているのか分からなかったけど、話を聞いた今は、大体分かったよ。早野君が怒っているのは、早野君が亡くなった後の、あたしの掛井君への対応でしょう。あの頃、罪のない掛井君を、あたしは責めた。真実を知れば確かに酷いよね。掛井君は悪くなかったんだから。」
初穂の言葉を聞いて、僕は気付く。初穂の言い様が鼻についたのは、初穂が自分を取り戻したからだということを。初穂は、この世の者ではない早野君から、何故か分からない怒りを買っていることに萎縮していたのだ。相手は幽霊なのだから無理もない。だが、早野君の怒りの理由を知り、どう対処すれば良いのか算段がついたのだろう。初穂は昔から、上からものを言う喋り方をしていた。この喋り方は僕は小学生の頃から鼻についた。が、他の人はそう気にしていない様だった。初穂はクラスで中心になるほど人望が有ったのがその証拠だ。僕は初穂とは相性が悪かったから、そう思うだけだったのだろう。初穂は面倒見のいいところがあるのは僕も認めるところだ。
「そうだね。初穂ちゃんの掛井君への仕打ちは酷いよ。掛井君があの街に居られなくなるくらいに追い込んだから。まあ、それについては、確かに初穂ちゃんが一番掛井君を攻撃したとはいえ、他の人達も一緒になって掛井君を非難したみたいだけどね。」
早野君は初穂を責める。しかし、初穂は変わらず諭すように早野君に言う。
「そうね。 でも、仕方ないと思わない?あたしも他の人も掛井君を悪者だと思ってしまったのは。当の掛井君だってそう思っていたんだし。真実を知っていた早野君はもういなかったんだから。もちろん、例え掛井君が本当に悪者だとしても、あたしが責める権利があったのかは分からないわ。けど、まだ当時あたしは小学生だったから、悪い奴を責めることが正しいことだと思ってしまってたのよ。だから、掛井君に謝るわ。あたしの勘違いで掛井君に苦痛を与えたことを。だから早野君、許して。あたしは掛井君を責めた急先鋒だったから兎も角、あたし以外の、掛井君を攻撃した人達はせめて許してあげて。」
そう言うと直ぐに、初穂は僕に頭を深々と下げた。
「ごめんね、掛井君。あたしが悪かったわ。本当にごめんなさい。」
僕は初穂の謝罪を受け入れて頷く。謝罪を受け入れない理由はない。確かに僕は初穂に責められて辛い思いをした。でも、それは仕方がないことだった。初穂が言ったように僕自身さえ、僕に罪があると思っていたのだから。しかし、真実は違った。早野君は僕のせいで命を絶ったわけではなかった。そして、それを認めてくれる人がいる。それが初穂だ。そんな人がいるというのは、僕にとって大きな嬉しい変化だ。早野君が僕だけではなく、初穂を巻き込んだのは、僕の理解者を作るための計算が有ったのかもしれない。そんなふうにも考えられる。だとすれば、早野君は初穂のことを買っていたということだろう。

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